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J.D.攻略法その1 なぜJ.D.か? [J.D.攻略法]

(1) まえがき

 こんにちは。J.D.三年生のMです。最近、J.D.を目指している日本人の方たちから様々なご質問を受けることがあります。私が留学を目指した当時を振り返ってみても、周囲にJ.D.の経験者もしくは受験者は非常に少なく、情報にも乏しかったことを思い出します。そこで、まだ現役のJ.D.の学生である今、この2年間半およびその前の準備期間も含めて、私の経験・感じたことを書き綴ってみたいと思います。J.D.を目指す方々だけでなく、留学を目指している、もしくは留学を始めようとされている方々にとっても、少しでも参考になれば幸いです。
 
 このJ.D. 攻略法では、数回に亘って以下のようなお話をしていきたいと思います。
 ・ J.D.とは何か?
 ・ LL.M.とJ.D.はどう違うのか?
 ・ なぜ私がJ.D.を選んだのか?
 ・ J.D.にはどうすれば入れるか?
 ・ どうやって受験準備をすればよいか?
 ・ どうやって学校を選ぶか?
 ・ J.D.入学前の準備は必要か?
 ・ 死ぬほど怖い1LをどうやってSurviveするか?
 ・ なぜ2Lは死ぬほどつらいのか? 
 ・ ジャーナルとは何か?なぜみなメンバーになりたがるのか?
 ・ 就職活動をどうやって乗り切るか?

 さて、本題に入る前に、ここでひとつ、ローヤーらしくDisclaimer(いいわけ)をさせていただきます。これから書いていくことは、その多くが私の独断と偏見に基づいており、なんら正確性を保証するものではありません。他の学校の現役日本人J.D.を存知上げませんので、比較をすることもできません。あくまで、Vanderbilt University Law School に在籍する一人の日本人J.D.の経験談としてお読みいただければ幸いです。
 
 第一回目となる今回は、私がなぜJ.D.進学を選んだのかを、LL.M.とJ.D.の比較にも触れながら、お話したいと思います。

(2) J.D.とは何か?LL.M.とどう違うのか?

 アメリカで弁護士になるには、原則としてJ.D.という3年間のプログラムを終了することが必要です。J.D.とはJuris Doctorというラテン語の略で、法学博士などと訳されることもあります。J.D.は修士レベルのプログラムであり、入学には学士号が必要なため、各人の出身学部は、文学部・経済学部・理工学部など様々です。ちなみに、アメリカには日本の法学部にあたる学部はありません。大学を卒業後、数年間働いてから入学する人もいます。当校の入学者の平均年齢は23~24歳です。J.D.を卒業すると、原則として全米すべての州での司法試験受験資格を得ます。通常は、自分の就職先がある州の司法試験を受けます。
 
 一方、LL.M.は、主に母国で既に学部レベルの法学教育を終えた人(弁護士・法務部員・裁判官など法律の仕事に携わる人)を対象とした、1年間の修士プログラムです。LL.M.とはMaster of Lawのラテン語表記だそうです。LL.M.を終了して一定の単位を取得すると、ニューヨーク州のみ司法試験の受験資格が与えられます(カリフォルニア州も可能と聞いたこともありますが、未確認です)。米国人がLL.M.に進学する場合は、J.D.の取得が要件となります。ただし、米国人でLL.M.に進学することは非常に稀で、税法・知的所有権法など、特化したプログラムに限られるようです。
 
 J.D.とLL.M.の違いを簡単に表にまとめてみました。あくまで私の経験・知見を一般化したもので、すべての学校に当てはまるものではありません。

(3) なぜ私はJ.D.を目指したのか?

 一言で言うと、J.D.はアメリカ人弁護士養成のためのプログラム、LL.M.は留学生が米国法を学ぶためのプログラムです。それではなぜ日本で生まれ、育ち、教育を受け、企業に勤めていた私がJ.D.留学を目指したのでしょうか?私は日本の大学の法学部を卒業後、日本の会社に就職しました。司法試験にチャレンジすることもなく、多くの法学部の卒業生がそうであるように法律とは全く関係ない仕事に携わっており、まさか自分が弁護士を目指すことになるとは思ってもみませんでした。ただ、留学に対する漠然とした憧れ(その当時はMBAなんて格好いいな、などと考えていました)や、国際的な仕事に従事したいという気持ちはありました。

 入社して数年が経過し、転機が訪れました。会社が国際事業を拡大するため、国際部門の人員増加を図ったのです。国際法務専門の担当者が必要ということになり、たまたま法学部を出ていて社内の英語試験の結果がよかった私に白羽の矢が立ち、法務経験のある先輩方といっしょに仕事ができることになりました。法務のホの字も知らない(国際法務はさらに遠い世界の)私にとっては、分厚い英文契約書と格闘する毎日でした。
 
 あるとき、幸運にも海外での合弁プロジェクトの交渉に参加(というより見学)させてもらう機会がありました。それは米国でもヨーロッパでもない、あまりなじみのない国でのプロジェクトでしたが、そこで見たのは驚くべき光景でした。先方政府の代理人はすべてニューヨークの弁護士、当方の合弁チームの代表はイギリス人の弁護士。交渉はすべて英語で行われ(その国の母国語は英語ではありません)、契約書はニューヨーク法や英国法に準拠していました。経験の少なさや語学力の問題ももちろんありますが、欧米の弁護士が支配する交渉の場で、日本で法学教育を受けてきた(はずの)私にできることはあまりに少なかったのです。

 日本にもどった私は、米国ロースクールへの留学を決意し、情報を収集しました。そんなときに出会ったのが、阿川尚之さんの書かれた「アメリカン・ローヤーの誕生」です。日本人J.D.の元祖とも言える阿川さんの本には、私と同じく日本で育ち(阿川さんは大学時代に留学されていらっしゃいますが)、日本の企業に勤めていた阿川さんが大変な苦労をされてアメリカン・ローヤーになる姿が鮮明に描かれていました。そのとき私は、J.D.に行くしかない、と決意したのです。自分は留学経験もなく、ビジネスで使える語学力はない。日本の弁護士でもない。法学部は出たけれど、法務部員としてキャリアを積んできたわけでもない。そんな自分には一年間のLL.M.プログラムは短すぎる。あの国際交渉の舞台で出会った欧米人弁護士に少しでも近づくには、かれらの育った環境に飛び込んでいかなければならない、そう思ったのです。

 そんなこんなでJ.D.受験を決意した私でしたが、周囲にJ.D.についての情報はほとんどありませんでした。受験に何が必要なのか、どうやって準備するのか、どこを受験したらよいのか、試行錯誤の毎日でした。そこで次回は、そんな私の受験過程について書きたいと思います。


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J.D.攻略法その2 受験準備編 [J.D.攻略法]

(1) J.D.入学に必要なこと—LSATとGPAでほぼ決まってしまう現実—

 前回は、J.D.とは何か、そして私がどのようにしてJ.D.を目指すことを決めたかをお話しました。今回は、そんな私と同じようにJ.D.を目指そうとしている方々に向けて、J.D.に入るためには何が必要か、どのように準備をすればよいかをお話しようと思います。

 J.D.入学には、国を問わず、4年生の大学を卒業している(ないし卒業見込みである)ことが必要です。出願にあたって要求されるのは、私が合格に最も重要だと思うものから順に、LSATのスコア、大学の成績表(いわゆるGPA)、エッセイ一通、推薦状三通、そしてレジュメ一通です。学校によっては、オプションとして別テーマでのエッセイを要求されることもあります。TOEFLを要求されることはほとんどありません。私が応募した10数校の中でも、TOEFLを要求していたのはVanderbiltだけでした。これは、J.D.はあくまでアメリカ人向けのプログラムであるから、また英語力はLSATで十分計れるからだと思います。

 ABA出版のロースクールガイドでは、ロースクールのほとんどが、LSATとGPAの組み合わせによる合格者の分布図、平均値、上位・下位25%を公表しています。
http://www.amazon.com/Aba-Official-Aba-approved-Schools-Approved/dp/0976024551/sr=8-1/qid=1170444930/ref=pd_bbs_sr_1/002-3018739-5486418?ie=UTF8&s=books

 LSATとGPAが高いほど合格率も高く、学校のランキングが高いほどそれぞれ高い数値が必要になってくるのが一目でわかると思います。たとえば、ランキング17位のVanderbiltの今年度の入学者平均は、LSATが166、GPAが3.70です。166というのは全米上位5%程度、3.70というのはほぼオールA-平均です。合格者の分布図を見れば、自分がどのくらい受かる可能性があるのかが良くわかると思います。LSATとGPAのどちらを重視するのかは、学校によって多少異なりますが、5対5と考えてもそれほど問題はないでしょう。

 やや乱暴になりますが、どのレベルのロースクールに合格できるかは、LSATとGPAの組み合わせでほぼ決まると言っても過言ではありません。ひとつの学校が何千通という応募を受けることからすると、学校がエッセイその他の資料をすべて精読して比較しているとは考えにくく、客観的な数値で表されるLSATとGPAの組み合わせでかなりの部分が決まってしまうことは容易に想像できます。また、エッセイなどの資料はみな時間をかけて書きますし、予備校の介入などどこまでその内容が本当か必ずしもわからない場合もあります。よって、極端に優れた経歴・推薦などがない限り、差はつきにくいと言えます。
 
(2) GPAはなぜ重要か?GPAが低い場合はどうすればよいか?

 GPAは原則として、Aを4点、Bを3点、Cを2点として計算します(4点満点となります)。卒業した大学のレベルによって、多少数値は調整されます。たとえば、Harvardの3.5は、無名校の4.0よりも高く評価されるはずです。日本の学校によって調整が入るのかどうかはわかりませんが、LL.M.で日本人を多く受け入れている学校では、たとえば「東大で3.5なら米国でいうとこれくらい」というようなイメージがあるのかも知れません。

 あまり勉強しない(成績をそれほど気にしない)といわれる日本の大学生に比べ、ロースクールを目指しているような米国の学生は、大学時代からいい成績を取る努力をしています。大学のトップレベルの学生は、メディカルスクール(日本の医学部に当たる修士課程)か、ロースクールに行くとも聞きます。ですから、トップ20までの学校に入るためには3点台の後半は欲しいところです(実は私はこの点、大きな例外です。この点は後ほど述べます)。

 日本の大学を卒業して数年間働いた人にとっては、やや厳しい面もあります。私もそうでしたが、何年も前の、しかも留学のことをあまり意識していない時期の成績が重視されてしまうのは、正直「なんで?」という気持ちになってしまうかも知れません。しかし、前述のように、ロースクールに入る米国の学生はみなよい成績を取っていますし、学校によっては一発勝負のLSATよりも四年間の蓄積であるGPAを重視するとも聞きます(前述のABAガイドに各校のコメントが載っていますので、ご参照ください)。GPAの低さを覆すようなすごいキャリア(たとえば裁判官を10年務めた、など)がなければ、これを現実として受け止めることが重要です。まだ学生の方は、今から少しでもGPAを上げる努力をしてください。既に社会人の方は、LSATを頑張るしかありません。

 私は日本の大学時代、恥ずかしながら、全くといっていいほど勉強しませんでした。将来留学したい、という気持ちはありましたが、どうせ働いてからだし、仕事や英語の試験を頑張れば良い、と高を括っていました。前述のような現実を知りませんでした。その結果、私のGPAは、米国のトップ20ロースクールにはとても入れない(下位25%にも遠くおよばない)数値になってしまったのです。私は卒業後6年弱働き、それなりに履歴書やエッセイに書ける内容はありましたが、特に目立った、それだけで合格を約束できるようなものは皆無でした。私に残された道は、LSATで奇跡を起こすことでした。

(3) LSATとは何か?

 LSATとは、ロースクール受験生用の共通テストのことです。ロジック・読解力・判断力などが要求される3セクションからなる択一試験で、点数は偏差値方式で180点から120点の間で示されます。具体的には、論理的な文章読解力を問うLogical Reasoningが35分×2セクション、分析能力を問う一種パズルのようなAnalytical Reasoningが35分、長文読解力を問うReading Comprehensionが35分、そしてダミーとして前3者のいずれかがランダムで出されるExperimental Sectionが35分です(これは採点されません)。また、30分間のエッセイライティングのセクションもあるのですが、こちらは点数換算されません(学校もこのライティングはほとんど見ないといわれています)。サンプルがLSACのホームページに載っています。
http://www.lsac.org/pdfs/2006-2007/TestPrep06.pdf

 学校や選択科目で多少の差異が出てくるGPAと違い、LSATは全国共通、客観的な指標で計ることができます。また、LSATで高得点を取るのに必要なのは、ロースクールでの勉強や法律家になるために必要な、ロジック・読解力・判断力といった力であり、LSATの点数とロースクールでの成績には相関性があると聞いたこともあります。トップ20くらいまでの学校に入るためには、最低165点(受験者の上位約5%以内)程度は欲しいところです。上位校の合格者平均は年々上昇しています。170点以上取れば、いわゆるトップ校であるYaleやHarvardといったところも十分圏内に入ってきます。

 LSATは6・10・12・2月の年4回開催されていますが、注意しなければいけないのは、過去の獲得スコアとあわせてロースクールに報告されてしまうことです。極端な話、一度120点を取ってしまったら、次に180点を取ったとしても、ロースクールには平均スコアの150が報告されてしまいます。そのため、キャンセルという救済策があり、試験を受けた直後に(スコアは約一ヶ月後に発表されます)感触が悪ければ、点数を出さないという選択をすることができるのです。

 LSATの難しさは、ひとえにそれがNativeの米国人対象の試験だというところから来ています。たとえばTOEFLは、Non-native向けの、母国語ではない言語としての英語力の試験です。それに対し、LSATは、米国で育ち、大学を卒業した程度の英語力を前提としています。MBA受験におけるGMATと比較されることもありますが、LSATには数学のセクションはありません。よって、英語力の影響の少ないところで点数を稼ぐ、ということもできません。

 私のLSATスコアは166点(全米上位5%)でした。当時の私の英語力を考えると、これは奇跡的な数字と言えます。LSATのスコアだけを見れば、ランキングトップのYaleは難しいものの、その他の学校には十分入学可能な数字でした。ですから、もし読者の方がNative並みの英語力を有しない、すなわち受験時の私と同じ立場であれば、LSATで高得点を取ることは簡単とは言えませんが、かといって不可能でもないのです。

(4) LSAT攻略法

 私のとった方法は以下の通りです。まず、Princeton Review(留学予備校)出版のLSAT Guideを購入して、どのような科目があるのか、どうやって対策を取るか、などの基本的な情報を得ました。練習問題がとても自力で解けるレベルではないことを悟った私は、当時日本で唯一LSAT講座を開講していたPrinceton Reviewの3ヶ月のコースに通いました。数人だけのクラスでしたが、私以外は全員日本在住のアメリカ人か帰国子女でした。
 
 基礎的なテクニックを学んだ後は、自分でひたすら過去問題を解きました。当時は過去20年~30年分、つまり100回分以上の問題が出版されていましたので、それらをすべて購入し、毎日少しずつ解きました。会社で働きながらの勉強で、夜は残業など時間が取れないこともありましたので、毎朝5時に起きて通勤前の時間を活用したり、昼休みに会議室にこもって勉強したりしました。

 LSATには前述のように3つのセクションがあります。170点以上の超高得点を目指すのでなければある程度問題を落とせますので、自分の得意・不得意分野を見極め、戦略を練ることが重要です。Logical Reasoningは全体の50%を占めるため、最も重要です。簡単に言うと、「AならばBである」という主張があって、その主張を最も強くサポートする前提は以下のうちどれか、というような問題が出ます。ある程度問題の傾向はパターン化しているものの、問題数が多く、中には超難問も含まれています。時間との戦いになりますので、ひらめきもしくは匂いで解けるようになるまで問題をこなす必要があります。本番では8割から9割の正解を目指しました。一度読んですぐに答えが浮かばない(もしくは何も匂わない)問題は全て飛ばしました。その際に、少し時間を使えばわかりそうな問題を△、全く意味不明の超難問(1セクションに2・3個含まれています)を×でマークしておき、最後まで行ったら△の問題に戻って解きました。

 Analytical Reasoningは全体の25%、「頭の体操」のようなパズル的な問題が出ますので、他のセクションよりも英語力は必要とされません。たとえば、「AさんからFさんまでが輪になっていて、Aさんは帽子をかぶり、帽子をかぶった人の正面にはひげを生やした人がいる。さてDさんの右隣はだれでしょう」というような問題です。このセクションについては、得意不得意がはっきり分かれると思います。私は昔からこの手のパズルが好きで、このセクションを最も得意としていたため、満点を目指しました。コツは、頭の中だけで考えるのではなく、必ず図や表を描いて、鉛筆を動かしながら考えることです。そして、同じ図や表を複数の小問に使うことになるため、時間をかけて丁寧に描くことも重要です。

 Reading Comprehensionは全体の25%、米国で大学を出たNativeにとっても難しい、哲学や科学などの超難文が出題されます。最も苦手としていたセクションだったので、3/4程度の正解を目指し、4問中もっとも時間のかかりそうな問題は文章を全く読まずに回答し、残りの3問に集中しました。難文に対するアレルギーを少しでもなくすよう、過去問題をたくさん解きました。最初は規定の35分間に4問中1問読めるかどうかという状態でしたが、最終的には3問ならなんとか読める状態までもって行きました。

 練習問題を解く際には、時間配分に注意してください。最初のうちはかなり時間がかかってしまうので、一つ一つの問題をゆっくり解いてもかまいません。しかし、LSATは時間との勝負になりますので、慣れてきたら少なくとも一セクション35分というまとまった時間帯を取って、その中で問題がいくつ解けるか、時間配分の訓練をすることが重要です。最終的には、集中力の持続も必要ですから、約三時間というまとまった時間を取って、全てのセクションを連続で解くようにしてください。私の場合、特に試験直前の一週間は休暇を取り、テスト本番と同じ時間に起床して問題を解く訓練をしました。

 私は入学前年の2003年の6月と10月にLSATを受験しました。6月のときは準備も不十分だったため、実際の試験の雰囲気になれるつもりで受け、点数を取れている感触がなかったのでスコアはその場でキャンセルしました。10月の試験は万全の体制で臨み、感触がよかったためスコアはキャンセルせず、1ヶ月後にスコアが送られてきました。10月の試験では、Analytical Reasoningがダミーとして出題されたという幸運もありました。もちろん2つ出題されたセクションのどちらがダミーなのかは試験中にはわかりませんが、最も得意な分野ということで体力・精神力のロスが少なかったのです。

(5) エッセイ・レジュメ・推薦状
 
 上で「GPAとLSATでほぼ決まってしまう」と述べました。だからといって、その他の書類が大切でない、というわけではありません。GPAとLSATでは甲乙つけがたい学生間では、これらの書類が勝負を決めることになるからです。留学受験予備校でもこういった書類に関するノウハウが蓄積されていますので、財布と相談しながら利用するのもよいと思います。私の場合は、会社の先輩が利用していた四谷にあるBEST英語学校というところの、通称Dr.と呼ばれる米国人のおじいさんに指導を受けました。
 
 ロースクールで要求されているエッセイは、大抵テーマは似通っていて、動機・将来の目標・乗り越えた苦難などです。そうした全てのテーマを網羅するような「核」となるエッセイを作った後、次回で述べるキャンパスビジットの体験なども含めて学校ごとにカスタマイズしました。特に、なぜ留学、しかもJDを目指しているのかを、業務を通じて出会った米国・英国弁護士との体験を交えて述べ、留学後の短期・長期的目標と結びつけました。

 推薦状は、会社の上司、大学時代のゼミの教授、取引先の英国人弁護士の3人に依頼しました。戦略としては、エッセイ・レジュメ・推薦状の三つが有機的に繋がるようにすることが重要です。私の場合、(1)上司には、レジュメで強調しエッセイで詳しく述べた仕事の成果を、(2)教授には、エッセイで述べた性格面の長所や、将来の目標を達成できるポテンシャルを、(3)英国人弁護士には、エッセイでアピールした英語での法律スキルの重要性や、それを身につける能力を、それぞれ推薦状の中でサポートしてもらうようにお願いしました。

 ちなみに、こうした書類をそれぞれの学校に郵送することも可能ですが、LSATを主催しているLSACの一元管理のオンラインシステムを使うと便利です。ほとんどの学校でもこのシステムを使うことを推奨しています。LSACに登録すると、それぞれの学校ごとにカスタマイズしたエッセイとレジュメをオンラインにアップすることができます。推薦者には推薦状を直接LSACに送付してもらいます。一枚だけ送付してもらえば使いまわしができるので便利ですが、学校ごとのカスタマイズができないのが欠点です(ただし、推薦者にカスタマイズをお願いするのはいずれにせよ難しいのではないでしょうか)。全ての資料がそろった時点で、クリックひとつで学校に書類を転送することができます。

 さて、上記のように、いかんともしがたいGPAをなんとかLSATで挽回したかに見えた私でしたが、その後の出願の道のりは決して平坦なものではありませんでした。そこで次回は、実際の出願の過程、キャンパスビジット、学校を選ぶ条件、などについて述べてみたいと思います。


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J.D.攻略法その3 出願過程編--甘くないJ.D.受験の世界 [J.D.攻略法]

 前回お話したように、J.D.受験には、GPA、LSAT、エッセイ、レジュメ、推薦状3通が必要です。GPAはいまさらどうしようもなく、LSATではなんとか挽回。そんな私にとっての課題は、エッセイでいかに独自性を出すか、そしてどの学校に応募するか、ということでした。その二つの課題を同時に解決するために私がとった行動は、10月のLSAT受験直後のキャンパスビジットでした。

(1) キャンパスビジット--百聞は一見にしかず

 LSAT受験を終えた私は、その足で成田空港に向かいました。実は遅い夏休みを2週間とっていたのです。それは、一週間かけて東海岸・中西部の学校を10校訪問するという強行軍のキャンパスビジットのためでした。ニューヨークのJFKで一泊した後、当時友人がLL.M.に通っていたコーネルのあるイサカに向かい、そこからフィラデルフィア(ペンシルバニア)、アナーバー(ミシガン)、D.C.(ジョージタウン、ジョージワシントン、アメリカン)、ダーラム(デューク)、セントルイス(ワシントンセントルイス)、そしてボストン(ハーバード、ボストン)を旅しました。

 訪問する学校を選んだ基準は、日本人になじみが深いこと、知人がいること、日本法専攻の教授がいることなどです。実はこの時はまだバンダービルトという学校のことはほとんど知らず、受験するつもりもありませんでした。西海岸の学校が含まれていない理由は、かつて旅行中にUCLA、スタンフォード、バークレーに立ち寄ったことがあり学校の雰囲気を知っていたことと、日程の都合です。

 あらかじめ各校のアドミッション(入学審査室)にメールでアポイントをとっておいて、入学審査官に会っていろいろと質問しました。特に、この時点ではLSATのスコアが出ていなかったので、外国人に対するハンディ(ゲタ)はあるかを確かめました。回答は学校によって多少異なるものの、基本的にはJ.D.はあくまで米国人向けなのでゲタは無いとのことでした。ただ、外国人にとってLSATが難しいことはわかっているので、高得点をとった場合には達成能力が高いという項目で評価するという回答もありました。

 J.D.受験に面接は含まれていないので直接の合否には関係ないのですが、遠く日本からやってきたことをアピールして、とにかく自分を印象付けようとしました。中には大変親切な人もいて、ちょっとお前のレジュメを見せてみろといって、ここをもっと詳しくとか、こことそこを入れ替えて、などとアドバイスをしてくれた審査官もいました。逆に、学校名は書きませんが、あからさまに忙しそうにして、私の質問事項に対して、そんなことはホームページに書いてあるでしょ、などという人もいました。

 卒業後は日米間のビジネスに興味がありましたので、日米の法律を熟知している日本法専攻の教授にもお会いしました。ワシントンセントルイスのHaley教授、ミシガンのWest教授の両教授には、知り合いのつてでアポイントをとりました。ペンシルバニアのFeldman教授はアドミッションから日本人が来ていることを聞いて、ぜひ話を聞きたいと仰ってくださいました。その他の学校でも、興味のある授業が行われている場合は、アポなしで教授に直接お願いして聴講したりもしました。

 知り合いのいない学校でも、英会話の練習だと思って、カフェに座っている学生などに、学校を選んだ理由や勉強の大変さなどの話を聞いてみました。もしキャンパスビジットをしようという方がいらっしゃったら、とにかくいろいろな人に会って話をすることをお勧めします。アポイントを取るに越したことはありませんが、キャンパスビジットというのは米国では通常のことで、スタッフ・教授・生徒たちはビジットしてくる学生の扱いに慣れていますから、失礼にならない範囲で、アポ無しでもアタックしてみるべきです。一日の体験でその学校についての全てを語ることはできませんが、アドミや教授の対応の仕方、学生の雰囲気など、学校ごとにかなりの違いを実感することができました。

 帰国後、キャンパスビジットでの体験をエッセイに盛り込みました。特に、なぜその学校で学びたいのかという問いに対して、お会いした教授の下で学びたい、出会った学生がこんないいことを言っていたなどと、かなり具体的な回答をすることができました。ただし、こうした努力がどれだけ実ったのかは、少なくとも私個人に限って言えばわかりません。と申しますのも、訪問した10校のうち、結局応募しなかった学校や、もしくは恥ずかしながら落ちてしまった学校がほとんどであるからです。しかし、モチベーションが上がったり、文献や伝聞ではわからない生きた情報が手に入ったりしますので、是非学校を自分の目でみることをお勧めいたします。

(2) 受験校の選定基準--LSAT/GPAと就職したい場所

 私の経験や同級生の話などを総合すると、受験校を選ぶ際に考慮するべきは、自分のGPA/LSATのスコアと、卒業後に就職したい場所、の2つです。まず、前回お話したABA出版のガイドと自分のGPA/LSATのスコアを照らし合わせ、学校を三つのレベルに分けます。すなわち、①非常に可能性が低い「賭け」の学校(GPA/LSATが合格者の25%以下)、②十分可能性のある「五分五分」の学校(同25%~75%)、③非常に可能性の高い「押え」の学校(同75%以上)、の三つです。それぞれのレベルについて、就職したい場所を考慮しながら二・三校ずつ選ぶ、「ポートフォリオ方式」がベストだと思います。

 USNewsランキングのトップ10の常連の学校であれば、よほど悪い成績を取らない限り、米国全土どこでも就職は可能です。これがトップ10よりも下からバンダービルト(ランキング17位)くらいまでの学校になると、NY・DC・LAなどの大都市の大規模事務所に就職するためには、良い成績をとったり、課外活動で大きな成果を残したりするなどの条件が必要になってきます。さらにランキングの低い学校になると、トップクラスの成績をとったとしても、上記のような就職は難しくなってきます。

 ところが、ここで「就職には地元の学校が有利」の法則が出てきます。たとえばNYの大規模事務所に就職しようと思ったら、ランキング20位~30位ぐらいの学校にいくよりも、NYにあるセントジョン、ブルックリン、オルバニーといったランキング下位の学校のほうが、はるかに可能性が高いのです。その理由は、オンキャンパス・インタビューと言って、弁護士事務所が学校を訪問して一次面接を行う慣行から来ています。訪問先として事務所が選ぶのは、トップ校に加えて、地元の学校なのです。私が夏にインターンとして過ごしたNYの2つの弁護士事務所には、上記の地元の学校のトップ5%程度の学生が相当数いました。オンキャンパス・インタビューについては、就職活動のお話をするときに詳しく述べたいと思いますが、バンダービルトには全米弁護士事務所ランキングトップ50のほとんどの事務所が訪問しています。

(3) 進学校の選定—失敗と成功—なぜ私がバンダービルトを選んだか?

 実は、「ポートフォリオ方式」なるやり方を偉そうにご説明してきたのは、私の失敗に基づいています。私はそれぞれのレベルの学校を選ぶことはせず、LSATの成功に気を良くして、「賭け」のトップ10の学校「のみ」(イェール、ハーバード、スタンフォード、コロンビア、NYU、シカゴ、ミシガン、ペンシルバニア、バージニア、バークレー)に応募してしまったのです。自分のGPAを冷静に考えれば可能性が非常に低いことは明らかでした。しかしその当時は、周囲に対する見栄と、実務経験があるのは珍しいし、LSATも外国人としては非常に高いから評価されるだろうという勘違いで、自分を見失っていたのです。また、阿川さんの「アメリカン・ロイヤーの誕生」によると、LSATがそれほど高くなかった阿川さんが、ミシガン・コロンビアといった学校にも合格されていました。しかし、阿川さんは私よりもはるかに高いGPAをお持ちだったでしょうし、日本という国自体が注目されていたという時代背景もあると思います。

 その結果、私の元には次々と不合格通知が舞い込んできました。不合格通知には、「I regret…」から始まって、今年度は有望な受験者が多く、あなたの経歴も非常にユニークだが非常に残念でなんたらかんたら、というどうでもよい定型文が載っています。封筒も薄っぺらいので、開く前に結果がわかってしまいます。1月中には、ウェイティングとなったコロンビアとペン、そして結果の来ていないミシガンを除いた全ての学校から、薄っぺらいお手紙を頂いてしまいました。

 LSAT受験、キャンパスビジット、願書作成といったいままでの努力が全て水の泡に思えてきましたが、落ち込んでいる暇はありませんでした。私は2004年度にどうしても留学しなければならない事情があったので、その状況をなんとしても打開しなければいけませんでした。そこで不穏な空気の流れ始めた1月の末に、学校の範囲を広げて、いまさらながら「五分五分」や「押さえ」の学校に応募しました。このときに、バンダービルトにも応募したのです。なぜバンダービルトに応募したのかは記憶が定かでないのですが、よく知らないけど結構ランキングが高いし、田舎でのんびりしていてよさそう、というイメージがあったのだと思います。

 LSAT/GPA(特にGPA)の数値から言うと、バンダービルトも「五分五分」と「賭け」の間、どちらかというと「賭け」に近い学校だったのですが、なぜか一週間で合格メールが届きました。このとき初めて、ああ合格通知はメールで来るのか、と知りました。あまり良く知らない学校でしたが、とにかく自分を評価してくれたことが嬉しくて、とたんにバンダービルトのファンになりました。コンタクトしてきたアドミッションや、紹介してもらったLL.M.の在校生・卒業生の方たちもみな親切でした。合格通知をもらった日から、毎日学校のHPを見て研究し、自分がキャンパスを歩いたり自転車で走ったりする姿を想像しました。

 その後、幸いなことに他のいくつかの学校からも合格通知をいただき、特にバンダービルトとワシントンセントルイスの間で悩みました。どちらも中規模都市にある、ロースクールとしては少人数のアットホームな学校という印象でした。ワシントンセントルイスには日本法の大家のHaley教授もいらっしゃり、大変難しい選択でした。最終的な選択を決めた理由は、バンダービルトが最初に合格通知をくれたことと、知り合いの米国人弁護士の「どちらもいい学校だが、バンダービルトのほうが全国区としての評価は高い」という言葉でした。
  
 さて、とにもかくにもJ.D.に留学できることが決まりました。そこでふと考えたのは、「本当にJ.D.でやっていけるのか(いや、やらなければならない)」ということでした。J.D.挑戦を考えていらっしゃる方々も、同じ疑問を持たれることと思います。J.D.で2年半以上をすごした今の私が言えることは、「留学経験の無い日本人でも、決して易しくはないが、やってできないことはない」ということです。そこで、次回からはそんな私の体験を、入学前の準備段階からお話ししていきたいと思います。


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J.D.攻略法その4 入学前準備編 [J.D.攻略法]

 この攻略法もだいぶご無沙汰してしまいました、J.D.三年生のMです。今年度夏からの留学を目指されている皆さんも、そろそろ合否が出揃い、渡航準備を進められていることと思います。そこで今回は、留学前に私が準備したこと、もしくは私の経験からやっておけばよかったと思うことをお話します。J.D.を念頭に置いていますが、LL.M.を目指していらっしゃる方にも共通の部分がありますので、参考にしていただければ幸いです。なお、具体的なご質問に関してはFAQ http://blog.so-net.ne.jp/vanderbilt-law-japan/archive/c20362377 の記事でもお答えしていますので、ご参照ください。カバーされていない事項につきましては、いつでも  まで気軽にお問い合わせください。

(1) ロースクールの全体像を理解する
 
 最初にするべきなのは、ロースクールでは何が行われているのか、何が必要とされているのかを大まかに知ることです。もしまだお読みでなければ、以下の本を一読されることをお勧めします。

① 阿川尚之「アメリカンロイヤーの誕生」: 日本人のJ.D.留学の元祖ともいえる阿川さんの留学体験記。20年以上前のロースクールの様子が描かれていますが、これからロースクール留学する方にとっても大変参考になる本だと思います。

② ダグラス・フリーマン「リーガル・エリートたちの挑戦」: 日本の弁護士資格も持っている著者のコロンビアJ.D.留学記。著者はネイティブ並みの英語力を有するため、私のようなドメスティックな日本人にとってはあまり参考にならない部分もありますが、最近のロースクールの動向を知ることができます。

③ 野村憲弘「ロースクールって何」: ペンシルバニアLL.M.留学記。平易で軽妙な文章。LL.M.の方には特にお勧めです。

④ Robert H. Miller 「Law School Confidential : A Complete Guide to the Law School Experience (Paperback)」: J.D.を目指す人は必ず読んでください。ハーバード、ペンシルバニア、バンダービルトなどの近年のアメリカ人J.D.卒業生によって編集されたロースクールサバイバルマニュアル。「机とベッドだけはしっかりした良いものを」「印刷スピードの速いプリンターを」といった些細な点ではあるものの重要な経験者ならではのアドバイスだけでなく、ブリーフ(要点まとめノート)の作り方や試験勉強の仕方まで、サバイバルに必要なことがわかりやすく網羅されています。

(2) 英語力を上げる
 
 多くの日本人にとって最も壁となるのは、法律そのものの難しさよりも、基礎的な英語力の問題であると思います。予習として大量のテキストを読むために必要なリーディング、試験や課題で必要になるライティング、授業を理解するためのリスニング、授業で当てられたときにきちんと答えられるためのスピーキング、というように、全ての要素がかかわってきます。

 リーディング・ライティング・リスニングの三つの力を伸ばすには、次の項目で紹介するように、一年生の基礎科目を予習をしながら、というのが最も効果的だと思います。スピーキングに関しては、英語学校に通ったり、ネイティブの友人を作ったりというような日頃の地道な努力が必要でしょう。

 ちなみに、「留学すれば英語力は飛躍的に上がる」というのは、必ずしも正しくはありません。もちろん才能、努力などによる個人差はありますが、実際留学された方が感じるのは「思ったほど英語は伸びない」ということではないでしょうか。これは特にスピーキングについて当てはまります。それは第一に、20歳を過ぎると語学に関する脳の構造が固定されてしまうこと(バンダービルトの語学学校の先生が仰っていました)、そして第二に、ロースクールの勉強はほとんどの時間は「ケースブックを読んでそれをノートにまとめる」という孤独な作業であることによります。
  
(3) 一年生の基礎科目を予習する
 
 ロースクール前の準備段階では、各科目の概要をつかみつつ、前述のリーディング・ライティング・リスニングの三つの力を伸ばすことが重要です。また、授業中のノートをパソコンで取ることができるように、英語でのタイピングもマスターするべきです。ノートを手書きでとっている人は、クラスにせいぜい1・2人しかいません。これは、タイピングのほうが早くノートを取れること、見やすいこと、復習時にまとめノート(アウトライン)を作りやすいこと、クラスメイトとの共有がしやすいこと、などの理由によります。試験もパソコンで受験したほうが、早さ・読みやすさ・編集のしやすさで断然有利(というよりも手書きだと断然不利)です。

 私がとった方法は、Gilbert社が出しているLaw School LegendというCDシリーズを購入して、CDを聞きながらノートをとる訓練をするものでした。このシリーズは、現役の著名なロースクールの教授が、1年分の授業を数時間に凝縮して、全く知識のないものにとってもわかりやすく要点を解説してくれるものです。慣れるまでは難しいかもしれませんが、実際のソクラテスメソッドによる授業よりもはるかにわかりやすい講義形式ですので、しっかり訓練してください。酷な言い方になるかもしれませんが、このレベルについていけない場合は、J.D.として生き残るのは大変難しいと思います。

 また、夏休みの間、BarBri、 LawPreview といった予備校が、ロースクール準備講座を全米各地で開催しています。それぞれ一週間程度の集中講義で、一年生の科目を一通り概説してくれるとともに、ブリーフの書き方、ロースクールサバイバルのコツなども伝授してくれますので、お勧めです。私の場合、ロサンゼルスに2週間滞在し、BarBriとLawPreviewの講座を二週連続で受講しました。西海岸を中心としたロースクールに進学する学生が集まっていたため、残念ながらバンダービルトに進学するのは私だけでしたが、よい情報交換の機会にもなりました。

(4) その他
  
 さて、いろいろと書いてきましたが、この準備段階であまりに一生懸命になってしまうと、肝心のロースクールが始まる前に燃え尽きてしまう可能性もあります。また、一旦ロースクールが始まってしまったら、家族や友人と過ごしたりする時間は非常に限られてしまいます。ですから、矛盾するようですが、しっかり準備をしながらもバランスの取れた生活を送ることが重要でしょう。


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J.D.攻略法その5 死ぬほど怖い1L―秋学期―希望の章 [J.D.攻略法]

 前回の入学準備編からさらにご無沙汰してしまいました、J.D.卒業生のMです。5月の卒業後、NYBarの勉強・受験に集中しておりました。秋に働き始めるまで、ロースクール入学以来はじめて何の義務もない夏休みを過ごしております。さて、今回からやっと本編に入ります。死ぬほど怖い1L、死ぬほどつらい2L、そして死ぬほどだるい(私にとっては楽しかった)3Lの生活を、順を追って振り返っていきたいと思います。

(1) 概要

 通常1Lの一年間は全て必修授業で、米国法の根幹となる、契約法・不法行為法・憲法・刑法・物件法・民事訴訟法などを履修します。秋学期は契約法、不法行為法、リーガルプロセス、そしてライティングの4科目15単位となっています。1Lの225人は、セクションと呼ばれる75人ずつの3つのクラスに分かれ、一年間はこのセクション単位で活動するようになります。
   
※リーガルライティングは、リサーチとライティングの二部構成

 授業開始の前週の木・金に簡単なオリエンテーションがありました。金曜夜には、すでにメールで翌週のアサインメント(宿題)が送られてきており、週末は特に外出もせず宿題に没頭しました。しかし、要領をつかんでいないため、週末全てを使っても火曜日授業の分までは全部読みきれませんでした。

 授業は原則として、悪名高き「ソクラテスメソッド」と呼ばれる教授対学生の問答方式にのっとって行われます。写真のように、クラスメイト75人の視線を浴びつつ、教授の尋問に答えるというのは、かなりの試練です。私も何度も餌食になりましたが、これはアメリカン・ローヤーになるために避けて通れない、重要な訓練のひとつとされています。ちなみに、2L・3Lになると予習をしてこない生徒も現われ、ソクラテスメソッドも幾分ゆるやかになります。

 日本の法学部であれば、あまり予習は必要とされず、教授が一から全て説明するのが通常でしょう。一方、ここでは解説は一切無く、たとえばいきなり、「ミスター・ジョンソン、○○事件の事実関係を説明してください」から始まって、教授はだんだんと質問を難しくしていき、生徒が答えられなくなると別の生徒に回答を要求します。

 教授は通常初回の授業時に、シーティング・チャート(座席表)に名前を書かせ、次回からもその席に座るよう指示します。教授も全ての生徒の名前は覚えられないため、シーティングチャートを使って生徒を当てるのです。私は全ての科目で最前列に座り、教授にかぶりつくようにして講義に臨みました。教授の言葉もよく聞こえ、集中力が高まりやすいからです。結構死角になって当てられにくいという隠れたメリットもあります。

(2) Contracts(契約法)

 日本の民法の一部に当たり、契約重視の米国では、弁護士として避けて通れない「キモ」の科目です。担当は、O’hara(オハラ)という女性教授で、ジョージタウンロースクールを卒業し、連邦第三控訴裁判所でクラーク(裁判官助手)を勤め、シカゴ大学やジョージタウンで教えた後、2001年に当校の教授となりました。授業開始前に配られたシラバス(授業予定表)には、授業内容、スケジュール、採点方法などが5ページにわたってびっしりと詳細に書かれていました。特に、「質問方法(!)」という項目があり、「授業で分からないことがあった場合は、私のところにすぐに来てはならない。まず複数のクラスメイトに聞き、それでも分からない場合はメールで送付すること。メールによるやりとりでも解決しない場合のみ、オフィスまで訪ねてきて良い」とのこと。もっとも実際には、質問すれば優しく教えてくれる教授でした。

 教授は顔写真付きのシーティングチャートを持っており、最初の一人をランダムに当て、その後はその生徒の座っている列の生徒を順番に当てました。判例の事実関係などの簡単な質問ではなく、アサインメントの内容を完全に理解してきていることを前提として、いきなり仮想問題から授業を始めるのです。授業が始まって間もない2週目、とうとう私の座る列の順番がやってきました。あたりそうな部分を予測して、かなり集中して問答を聞いていたのですが、「ではミスターM、この事件では原告の主張が一部分だけ認められていますが、それはどこですか?」と聞かれ、頭が真っ白になってしまいました。そもそもどの判例について聞かれたのかが分からず、とりあえずそれらしい判例を急いで読み返すものの、全く頭が働かず、しかたなく「分かりません」と答えました。

 教授は、しょうがないなあという顔をして、私の隣のJさんを当てましたが、彼女は「すいません、いったいどの判例について答えればいいのですか?」と言います。クラス全体も、「そうだそうだ」という雰囲気になりました。つまり、教授の説明がいきなり飛んだため、クラスの大部分が理解していなかったのです。相手の質問を確認する、という基本中の基本ができなかった自分を恥ずかしく思うと同時に、ここでは発言できないものは相手にされない、と強く再認識しました。後日指名されたときには、教授の親切な誘導もあって、何とか最低限の回答は出来るようになりましたが、このクラス全員の目が集中するなかで頭が真っ白になると恐ろしい体験は今でも忘れることが出来ません。
 
(3) Torts(不法行為法)

 日本の民法の一部で、原則として契約関係に基づかない原因により傷害や事故が発生した場合の法律関係を扱います。たとえば、幼児がいたずらでいすを引いたために転んで骨折してしまった、フットボールの試合で危険なタックルをして怪我をさせた、大量生産の薬の副作用でガンになってしまった、など多岐にわたる事例があり、裁判の多くはこの不法行為に基づいて起こされるといっても過言ではありません。

 担当はHetcher(ヘッチャー)教授で、中西部の名門ウィスコンシン大学を卒業後、修士号および博士号を取得し、ロースクールは最難関のイェールを卒業、ワシントンの有名事務所アーノルド・ポーターで訴訟弁護士として働いた後、当校の教授に就任しました。ラフな格好の多い教授陣の中で、190センチの長身にジャケットとネクタイをビシッと着こなし、頭脳明晰、その立ち居振る舞いは非常にエリート然としています。実務経験に基づく具体的な解説が非常に分かやすく、たとえば医療過誤訴訟やPL(製造物責任)訴訟などは、証人の選び方が判決を左右するくらい重要であることを、実例を挙げて教えてくれます。

 教授は生徒の名前を書いたカードを携帯しており、トランプのようにカードを切りながら適当に引いて当てるので、常に緊張を強いられます。ある日の主要判例は、若い女性が夜中に車で信号待ちをしていたところ、4人の男性を乗せた車に道をふさがれ、卑猥な言葉を浴びせられたり、乱暴するぞと脅されたりしたものでした。明らかにAssault(脅迫)に該当するケースです。前日に簡単な質問で当てられていたので今日はあたらないだろうと高を括っていたところ、私が男性(被告)側弁護人として当てられてしまいました。

 原告側弁護人役の女生徒が大変早口なのと、自分の緊張のため、彼女が何を言っているのかよく分かりませんでしたが、とにかくこちらも何か言わなければ負けです。このときは少なくとも頭が真っ白になることは無く、ノートを読み返して何とか該当部分を探し、「被告の証言によると、彼は単に友人を面白がらせようとしただけで、脅迫の意思はありませんでした」と、苦し紛れに発言しました。すると教授が、「その通り。意思が無ければ脅迫は成立しない」と珍しく褒めてくれました。その後しどろもどろながら、教授の仲介もあって何とか生き延びることができ、授業が終わった後に、周りの学生達から「Good job! (よくやった)」と口々に言われたのが大変うれしかったのを覚えています。

 私の隣には、ヴァージニア大学出身のD君が座っていました。銀縁眼鏡の、ビルゲイツのような風貌をした天才肌で、授業中もヨーグルトを食べながら、教授を感心させるような鋭い発言をしばしばします。そして、クラスメイトのほとんどが蛍光ペンを使ってテキストを塗りつぶすように読む中で、彼のテキストは真っ白なのです。それで頭に入るのかと聞いたところ、「線を引きすぎると、かえって重要な部分が見えなくなる。それに、綺麗にしておかないと、後で古本屋に売れないだろ」とのことでした。

 授業中最も印象に残った判例として、パルスグラフ事件(Palsgraf v. Long Island Railroad)がありました。事件の概要は、「駅で乗客を駅員が電車に押し込んだところ、乗客の持っていた紙包みが落ちて中の花火が爆発し、数10メートル先に立っていたMs. Palsgrafの上に柱が倒れて怪我をさせた。果たして駅員はMs. Palsgrafに対して責任があるか?」というものです。この判例は歴史上最も有名な判決の一つであり、それは、Cardozo判事による判決主文(多数意見)と、Andrew判事による反対意見(判決としての効果を持たない参考意見)が、どちらも同じくらい画期的で、かつ説得力があるからです。

 Cardozo判事は、1900年代前半から半ばにかけて活躍したニューヨーク州高等裁判所の裁判官(後に連邦最高裁判事)で、弱者救済のため、従来の判例を覆す独創的な判決文を多数書いたことで有名です。複雑な英語を書く法律家が多い中で、Cardozo判事の文章は簡潔明瞭で、80年以上経った今でも「Plain English(平易な英語)」の見本としてしばしば引用されます。教授の中でも評判の高い判事ですが、ある教授によれば、「彼は一生独身で、人付き合いも全くせず、法律だけに人生をささげた変人です。こんな人にまともな判決が書けるわけありません」と散々です(この辺は非常にアメリカっぽいですね)。

 一方、Andrew判事の反対意見は、Plain Englishにはほど遠い長文で、何度読み返しても何を言っているのかさっぱり分からないのです。ヘッチャー教授は、ロースクールの授業にしては珍しく、一文一文を追ってまるで国語の授業のように詳細に解説してくれました。因果関係理論を川の流れを使って描写した部分は、特にお気に入りのようで、何度も「美しい」と賞賛していました。あえて簡単に解説すると、最初は透明な川の流れが、途中で茶色い泥と混ざり、さらに赤土と混ざり、結局水はにごってしまいます。これと同様に、最初は明らかだった事件の原因も、その後さまざまな事象が起こることによって、因果関係が不明確になるということなのです。

 日本の判例と違って、米国の判例には決められた形式がありません。質のばらつきが激しく、意味不明のものがある一方で、この判例のように、文学作品のような高尚なものや歴史を変えるような独創的なものもあるのです。

 あるクラスメイトに言わせると、教授は「Self-centered person(自己中心的人物)」とのことで、授業の本筋に関係ない質問や意見に対しては、「それは関係ない」と言って切り捨て、どんどん自分のペースで授業を進めます。一見不親切なようですが、学生、とくに1Lの質問や意見は混乱につながることが多いため、このほうがかえって分かりやすいのです。授業の後に質問に行けば、非常に丁寧に答えてくれます。ただしあまりに頭が良過ぎるためか、どこか人を小ばかにしたところがあり、生徒間の人気はそれほど高くないようです。

 試験一週間前に、教授から質問をまとめてメールで送るように指示があり、私も4つほど厳選して送付しました。後日、すべての質問と回答をまとめたものがクラス全員に送られましたが、中には「漠然すぎる質問。教科書をもう一度読み直せ」などといかにも教授らしい回答がありました。私の質問には、すべてまともな回答が書いてあり、一安心でした。

(4) Legal Process(法律過程)

  本校特有の科目で、契約法のように単一の法律分野を扱うのではなく、広く法哲学・法システム・法思想などを学び、法的思考力養成に資することを目的としています。担当はBrandon(ブランドン)教授で、その風貌は、めがねに髭をたたえ、常にチノパンにボタンダウンシャツという、いかにも大学教授然としています。ハロウィーン(仮装する習慣がある)の時には、そっくりの仮装をしてきた学生がいて、喝采を買っていました(写真左側が教授、右が学生)。

 授業はオーソドックスなソクラテスメソッドと講義の混合形式でしたが、科目自体の抽象性もあり、非常に難しい授業でした。そんな中でも、大変印象に残った判例があったので、紹介したいと思います。「Critical Racial Theories(批判的人種論)」という法思想の分野で取り扱った「ミシガン・ロースクール事件」は、米国における人種差別という問題の深刻さを再認識させるものでした。争点は、公立大学における「Affirmative Action(積極的優先処遇)」の是非です。

 Affirmative Actionとは、大学・大学院などの入学試験において伝統的に行われてきたもので、試験の点数に「ゲタ」をはかせることによって、少数民族や過去に人種差別を受けた人々を優先的に入学させるものです。この事件では、ある白人女性が、「同じ点数で合格した生徒がいる一方で、自分は白人であるため不合格となった。これは逆差別であり、法の下の平等を定めた合衆国憲法に反する」として、ロースクールを相手取って裁判を起こしたのです。事件は連邦最高裁判所まで争われ、結局9人の裁判官によって5対4という僅差で、自動的なゲタではなく、あくまで人種を一つの要素として考える場合には合憲(逆差別ではない)と判断されました。

 日本ではちょっと想像できないような訴訟であったのと、証人として出廷した教授やスタッフを何人か知っていたので、大変印象に残りました。特に、私の1L時のバンダービルト・ロースクールの校長で、事件当時ミシガン・ロースクールで教えていたシブルド教授が、「Affirmative Actionの目的は、多様な人種の生徒と接することによって、人種とは関係なく多様な意見があることを知り、ステレオタイプ的な人種的偏見をなくすことである」と証言していました。この証言が判決に多大な影響を与えたことは、最高裁が判決理由で、「Affirmative Action の目的が過去の差別の社会的効果の是正のみであれば違憲だが、教育の場における多様性の実現という目的を持つならば合憲である」と述べていることからも明らかです。実際、私は入学前にシブルド教授のインタビューを読んだことがあり、当時まだ係争中だったこの事件について、教授は、「最高裁が何と言おうと、教育の場に多様性を実現するこの政策を私は支持する」と断言していました。私はそれを読んで、こういう人のもとで是非勉強したいと思ったものです。

(5)Legal Writing and Research
 
 判例・法令・文献などの調査方法を学ぶ「リサーチ」と、文章構成・表現などの基礎に始まって、最終的には弁護士事務所のパートナー向けのメモ作成を行う「ライティング」の2部構成です。リサーチは、弁護士としての実務経験もある図書館のスタッフ、ライティングは、当校の卒業生で現在はナッシュビルで弁護士をしているローズ教授が担当です。

 かつて資料の検索はすべて紙ベースで行われていましたが、現在はレクシスとウエストローという2大データベース会社が提供する電子検索が主流です。両会社は、データベースを学生に無料で提供しており、大変便利なのと、使うほどにポイントがたまって景品ももらえるため、紙ベースでの検索方法はすぐに忘れられてしまいます。オートマティック車に馴れて、マニュアル車が運転できなくなるのと同じですね。しかし、実はここに大きなからくりがあり、卒業して弁護士なってからこれらを使用すると、一分もしくは一件ごとに相当な金額が掛かってしまうのです。一度電子検索の便利さを知ってしまうと、もう紙ベースには戻れないという、ある種の中毒現象です。

 リサーチ・ライティングともに、理論の講義はほとんどなく、日々少しずつ高度になっていくアサインメントをこなす形式で授業は進みました。アサインメントの提出にあたっては、11ページに渡って詳細なルールが規定してあるシラバスを参照しなくてはなりません。たとえば、提出物はすべて、「レターサイズ、片面印刷、23行、ダブルスペース(行間を2行にする)、フォントはTimes New Romanで12ポイント」で、「この意見書を書くにあたって、許可されていない一切のサポートを受けておりません」という宣誓文に署名し、提出時間を守ったことを示すスタンプを押してもらわなければなりません。契約法のシラバスでもそうでしたが、米国人、特にローヤーは、細かいルールに異常なほどにこだわります。これは、予め詳細なルールを規定することによって紛争を未然に防ぐという目的だけでなく、ルールが無いと各人の取り扱いが全くばらばらになって収集がつかなくなる、という理由もあるのです。日本のように、阿吽の呼吸・暗黙のルールといったものはまず存在しません。

  自分にとっては大変実践的で面白く、最も力を入れた科目でもありました。アサインメントの提出前にはほぼ徹夜になることもしばしばでした。Citation(判例や文献の引用)に関しては、詳細な統一ルールがあり、そのルールだけでブルーブックという一冊の本が発行されているほどです。ルールは複雑ですが、たとえば判例であれば一目で「いつ・どこの裁判所で・誰が誰を訴え・どこを調べれば判例が見つかるか」が分かるという、非常に効率的なものです。一文ごとにルールを調べるという地道な作業が要求されるため、適当に終わらせてしまっているクラスメイトもいましたが、私はとにかく時間を掛けて作業しました。提出後に教授から、あなたのCitationは一番正確だったと褒められました。実はこの時期、様々な劣等感と疎外感に打ちひしがれていた自分にとって、この一言は神の声に等しく嬉しかったのです。語学力ではネイティブには一生勝てないが、ノンネイティブの自分にも勝てる分野があるということがわかり、また、このことがその後のジャーナルへの挑戦と繋がっていくのでした。

(6)勉強方法


 アメリカ人はどこでも勉強します。地べたや階段に座って教科書を読んでいるものもいますし、私も、暖かい9月10月には、芝生の上で勉強したこともあります。日本の法学部の場合、ごく一般的な勉強方法は、ろくに予習もせず(まじめな学生は)授業に出て、教授の説明をノートに取り、試験直前にノートや教科書を読み返すといったところでしょう。しかしここ米国のロースクールでは、授業は予習を前提としたソクラテスメソッドで進められ、一学期で1,000ページにも及ぶ教科書を消化します。よって、日々の予習・復習の積み重ねが必須で、具体的には、「アサインメント」を読み→重要判例につき「ブリーフ」を作成し→授業に出てノートを取り→ブリーフとノートをあわせて「アウトライン」を作成し→試験前にアウトラインを凝縮した「チェックリスト」を作成することになります。

 毎回授業前には、教科書の20ページ程度をアサインメント(宿題)として読んでくるよう指示が出ます。20ページ程度といっても、教科書は細かい字でびっしりと、専門用語で埋め尽くされているため、最初のうち1時間に読めるのはせいぜい5ページ程度です。教科書は、いわゆる概説書・基本書といった理論を解説したものではなく、判例のダイジェストを集めた「ケースブック(判例集)」と呼んだほうが正確でしょう。判例を読む際には、ピンク・緑・オレンジ・青・黄色の5色の蛍光ペンを使用するのが一般的です。たとえば、過去の裁判記録および結論をピンク、事実関係を緑、争点および反対意見をオレンジ、ルールを青、判決理由を黄色というように塗ります。意味不明の判例を、少しでも読みやすくしようという工夫なのです。

 また、ただ判例を読んだだけでは、授業での教授の尋問に耐えることは困難なため、重要判例について、要点(事実関係・論点・判決・判決理由など)を1枚にまとめた「ブリーフ(要約書)」を作成します。そして授業にはブリーフを持って望み、教授や生徒のコメントを補足する形でノートを取っていくのです。期末試験は、前述のように教科書1,000ページのほとんどが範囲となるので、試験前に教科書やノートを読み返す時間はありません。よって、日ごろから、ブリーフおよびノートの重要点を編集し、アウトラインと呼ばれるまとめノートを作ることが重要です。アウトラインは通常50~100ページほどの長さになるため、試験直前には、アウトラインをさらに凝縮・編集し、5~10ページほどのチェックリストにします。なお、法律関係の出版社も、各科目の要点をまとめたアウトラインを市販しています(「エマニュエル」など)が、実際の授業とは必ずしも一致せず、自分でアウトラインを作ったほうが頭に入りやすいため、参考程度にとどめておいたほうが良いと思います。

 学生の中には、スタディーグループを作って集団で勉強をするものもいます。ただ、集団によって効率を上げるというよりは、孤独を紛らわせるための仲良しグループといった意味合いのほうが強いように思えました。私の場合、日々のアサインメントの消化で手一杯でした。また、外人で、クラスでの受け答えもしどろもどろな私を受け入れてくれる(少なくとも優秀な)スタディーグループも無かったというのが正直なところです。ただ、試験直前には、契約法と不法行為法の過去問題につき、中国出身のJ.D.のS君とそれぞれ一日ずつディスカッションを行い、疑問点を解消し合いました。彼はノースウェスタン大学で社会学修士号を取得しており英語はしっかりしているのですが、私のほうが少し先に勉強を進めていたため、勉強のパートナーとしてはお互いにちょうど良かったのです。

(7)日常生活

典型的な平日のスケジュール

典型的な休日のスケジュール

 毎日の予習(宿題)・復習量が膨大であるため、基本的に勉強中心の生活でした。むしろ、人間として最低限の生活をしている時間(睡眠・食事・トイレなど)を除けば、土日も含め全て勉強していると言っても過言ではありません。具体的には、秋学期中は、散髪0回、外食(除くファーストフード系)1回、レジャー・旅行0回、でした。私は語学のハンディがあるため、やや極端な部分もありますが、大部分の1Lは、ほぼ同じような生活をしていました。ずっと髪を伸ばしっぱなしにしていたら、学生食堂のおばちゃんに、ナイスな髪型ね、と褒められました。

 周囲のクラスメイトに聞いても、大抵1科目につき、2~3時間は予習にかかっているといいます。平均で一日3科目ですから、単純計算でも、授業で3時間、予習で6~9時間必要になります。私は当然彼らより読み書きのスピードが遅いので、彼らの1.5~2倍の時間は必要です。予習だけで一日は終わってしまい、加えて復習やライティングの提出物もあります。平日の睡眠不足とストレス解消のため、土日の朝は多少ゆっくりと寝るものの、やはりほとんどの時間は勉強せざるを得ません。

 10月の半ばに、金・月と週末を合わせ、1Lのみ対象の4日間のミニブレイクがありました。学校が始まって2ヶ月弱、相当ストレスや疲れが溜まっていたため、ゆっくりと寝られるのは非常にうれしかったのを覚えています。もっとも、4日間すべて休むものは周囲にもほとんどおらず、私も、溜まっていた各科目の復習と、ライティングの提出物(法律意見書作成)に4日間を費やしました。また、11月の第4週、サンクスギビング(感謝祭)の前後には、秋季休暇として全校が9日間休みになりました。LLMの友人の中には、ニューヨークやフロリダに旅行する者もいましたが、私は全く旅行などする気も起こらず、9日間すべて(睡眠をしっかりとりつつ)勉強しました。このころになると、勉強する日常があまりに当たり前になっており、勉強しないとかえって不安やストレスを感じるようになっていました。客観的にはかなりの変人でないと、J.D.は生き残れないのかもしれません。

(8)期末試験

 秋季休暇終了後、一週間だけ授業があり、期末試験期間に突入しました。ロースクールの成績は、提出物の多いライティングなどの科目を除き、ほぼ100%期末試験のみで決まります。教授によっては、クラス参加・発言につきプラスの評価を加えることがありますが、少なくとも1Lについては、授業を休む者はいませんし、教授が学生をほぼ均等に当てるので、ほとんど差はつきません。

 契約法・不法行為法・リーガルプロセスとも、(量が膨大なことを除いては)オーソドックスな事例問題でした。たとえば、不法行為法では、一時間相当の設問が、問題文だけで4ページあり、時間との戦いでした。要約すると、「飛行機の操縦士と副操縦士がサボってコクピットから出ていたところ、誤ってドアをロックしてしまった。そのまま進むとホワイトハウスに突入してしまうとの知らせを受けた共和党出身大統領は、ミサイルで飛行機を打ち落とした。訴訟の可能性と予想される結果について述べよ」となり、一見簡単な事例のようですが、操縦士が客室常務員に感染症をうつしていたり、客室乗務員が乗客にコーヒーをこぼしてやけどさせたり、飛行機の落ちた地域が民主党支持者の多いところであったり、とても時間内にカバーしきれないような細かい争点が多く含まれていました。

 試験はどれも難しく、時間(と語学力)が足りなかったため、量をかくことはあきらめ、とにかく答案構成と時間配分を重視し、重要論点らしきものを押さえることを心がけました。試験終了直後は呆然としていたものの、しばらくして考え直してみると結構書けていた気がして、もしかしたら最初の学期からオールAを取ってしまうのではないか、などと期待しました。その期待はもろくも打ち砕かれ、暗黒の時代がスタートすることになるのですが、それはまた次回のお話で。。。


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J.D.攻略法その6 死ぬほど怖い1L―春学期―失望の章 [J.D.攻略法]

 再びこんにちは。J.D.卒業生のMです。さて、希望に満ち溢れてスタートした私のJ.D.生活でしたが、いざ始まってみると、語学の壁と勉強のつらさからくる疎外感と劣等感とでいっぱいの日々でした。もっとも、秋学期の間はとにかく勉強をしながら走り続けるしかなく、そんなことに悩む暇もありませんでした。試験終了後は、あれだけ勉強したのだからもしかしてオールA、などと淡い期待を持っていた私でしたが、やがて現実を知ることになるのです。

(1) 春学期開始

 冬休み中は、特に宿題も出ないため、故郷に帰ったり旅行をしたりする生徒がほとんどです。私も2週間ほど日本に一時帰国し、家族や友人とリラックスして過ごしました。春学期の予習をするべきかとも考えましたが、帰国前にテキストが手に入らなかったことを言い訳として、どうせまた学期が始まれば勉強漬けになるのだからと、徹底的に頭を休めることにして、英語にも全く触れませんでした。

 1月の第二週から授業が始まるため、余裕を持って前週の木曜にナッシュビルに入りました。ところが、金曜の昼にはジムに行くぐらい元気だったのに、夜中に突然猛烈な吐き気と下痢に襲われてしまったのです。そのまま倒れてしまい、朦朧とする頭で、「ああ、これで入院にでもなって勉強ができなくなったらどうしよう」と、考えました。翌土曜の昼になって少し症状も治まり、眠りにつくことができたものの、起きたのは日曜の昼でした(24時間寝つづけていたのです)。月曜の朝8時からの民事訴訟法のアサインメントが終わっていなかったため、ベッドに寝たまま教科書を読まざるを得ませんでした。後になってニュースで、日本で同時期に、同じような症状を起こす「ノラウィルス」が流行していたことを知りました。

 秋学期の疲れがたまっていたせいもあるのか、どうも春学期中は体調が優れず、しばしば熱っぽい日が続くことがありました。しかし授業と一つ休むと、必然的にその予習復習も遅れてしまい、ただでさえ厳しい1Lのスケジュールの中で取り戻すのは不可能に等しいのです。そのため、一度休んだら終わりだという恐怖心から、授業や予習を休むことはできませんでした。

(2) 成績発表

 2月の上旬のある日の朝、秋学期成績を発表する旨のメールが送られてきました。ホームページにアクセスし、パスワードを入れると自分の成績が閲覧できるようになっているのです。一学期間の努力の成果が、クリック一つで分かってしまうというのは、なんとも味気なく、そしてまた恐ろしいものです。学校へ行くと、既にアクセスした生徒も多いようで、達成感と不満感の入り混じった微妙な空気が流れていました。ロースクールの暗黙のエチケットとして、あからさまに成績を話したり聞いたりするものはいませんが、各人の表情にあきらかな違いが見られます。エチケットをわきまえない友人の一人から「成績見た?」と聞かれましたが、「まだ怖くて見ていない」とだけ答えました。
 
 家に戻り、恐る恐るホームページを開くと、いきなり「3.xxx」という数字が現れました。いや、オールAであれば3点台後半のはずなのになどと思いつつ、各科目の成績を見ていきます。すると、Aレベルを取れたのはかろうじてライティングのみでした(Aマイナス)。全体として、決して悪くはないが良くもなく、はっきり言ってショックでした。あれだけの時間と労力を掛けて勉強してきたのに、はたしてこんな結果でロースクールに来た意味があるのだろうか、と真剣に悩みました。

 一般にロースクールの成績は相対評価で、当校では目安として60~70%程度の学生はBランク(Bプラス~マイナス)の成績をとるとされています。Aランクはせいぜい20%程度で、とくにA+となると基本的に各科目一人のみであり、Vanderbilt Scholastic Excellence Award という表彰の対象になります。不法行為法では私の隣に座っていた教科書に書き込みをしないD君が、ライティングの別のセクションでは親友のJ君が、それぞれ表彰されていました。また、総合成績が学年で上位20%に入ると、Dean’s listという表彰を受けます。発表されるのは上位20%のボーダーラインのみで、氏名は公表されません。1Lの上位20%は3.562、すなわち上位20%に入るには、ほぼAマイナス平均が必要とされるのです。

(3) 教授面談

 成績発表後、しばらくは何も手につかなくなってしまいました。もちろん、日々の予習をこなさなければ、授業にでる資格がありませんから、それだけは淡々とこなしてはいました。しかし、とにかくいい成績を取ろうと突っ走ってきた秋学期と違い、今後自分は何を目標にしていけばいいのか分からなくなってしまったのです。
 
 その後数週間たって、教務課から、試験答案の閲覧期間のお知らせが来ました。教授によっては、自分の答案を見直して、それでもなお疑問・不満がある場合は面談を受け付けているのです。契約法のオハラ教授からは、模範解答と、例によって見直しおよび訪問に関する詳細な手続きメモが送られてきました。何をいまさら、という気持ちもありましたが、一方で、まだ留学は長いのだからもうすこし前向きにならなければいけないし、とりあえず失うものは無いから、と考え直し、教務課に向かいました。
 
 自分が何を書いたか既に忘れつつありましたが、実際に自分の答案を見直してみると、我ながら良く書けているのです。自分で書いた答案ということを差し引いても、分かりやすくまとまっていますし、模範解答に載っている論点もほぼすべて押さえていました。そこで、契約法のオハラ教授と不法行為法のヘッチャー教授に面談を申し込みました。リーガルプロセスについては、教授が面談を受け付けていないかわりに、A+の答案が名前を伏せて添付されていました。読んでみると、とにかく長い。明らかに私の2倍以上は書いてあり、しかも、小難しい哲学的な議論が延々と展開されていて、よくこれを採点する気になったな、と思うくらいでした。
 
 まずオハラ教授を訪問しました。教授は得点の分布図を私に示してくださり、それによると私の素点はちょうど平均点。私の答案の特徴として、まず量が決定的に少ないとのこと。「あなたの答案は9ページ。私は2つのセクションを担当しているが、10ページ以下しか書いていない生徒は、あなたを除いて全員がCをとっている。あなたの場合は、書いているところでは的確にポイントを捉えており、オーガニゼーションも良い。契約法もきちんと理解できている。タイプミスや文法上のミスも少なく、(これはお世辞でしょうが)ノンネイティブが書いたものかどうかは分からない。。。
 
 一方で、Aレベル答案は最低でも20ページ。自分は、チェックリストを使って採点しており、基本的に加点方式。よほど間違ったことを書かない限り減点はしないので、必然的に量が多ければ点も高くなりやすくなる。自分でもこの採点方法がベストとは思わないが、大量の答案を短期間で採点しなければならない都合上、他にいい方法がない。あなたがノンネイティブとして、多大な苦労をしていることは理解できるし、その地道な勉強スタイルを変える必要は全く無いと思う。要は、読み書きに関するスピードの問題である。事例問題よりも、政策的問題、すなわち考える力を要求する問題のほうが良く出来ており、分析力のある証拠だ」とのこと。忙しい中で時間をとって懇切丁寧に指導してくださった教授に感謝するとともに、これからやるべきことが見えてきたような気がしました。

 不法行為法のヘッチャー教授も、大変親切な対応でした。私の答案を見るやいなや、「こりゃ、明らかに少ないよ。重要論点はすべて押さえているけど、A答案に比べると、長さと分析の深さが足りない。授業で当てたときのやりとりからも、不法行為法はきちんと理解できていると思うし、英語にも問題はない。今後については、とにかくエッセイを書く訓練を普段からして、スピードを少しでも上げるしかない。まあ私にしてみれば、ノンネイティブでこの答案が書けるというのは、逆に驚きだがね」とのこと。
 
 最後の一言はなんとも失礼な言い草ですが、哲学博士号を持ち、イェールロースクール、アーノルド・ポーター弁護士事務所、とエリート街道をひた走ってきた教授にとっては、なぜ私のような外国人がわざわざJ.D.を取ろうとしているのかが、よく分からないのかもしれません。いずれにせよ、なぜ私がAを取れなかったのかについては、納得することが出来、両教授ともきちんと話すことができてよかったと思いました。
 
 調子に乗った私は、最も成績の良かったライティングについても、ローズ教授を訪問し、コメントを求めました。「クラスでの様子や、提出物から判断するに、あなたがクラスの中で最も頑張っているのはよく分かる。クラス25人中Aレベル(A+, A, A-)をとったのは6人だけである。提出物は、ワンオブザベストであり、A+を取った学生と比べて、遜色ない。しかし成績はあくまで相対評価で差をつけなければならないので、あえて違いを言うとすれば、ちょっとした表現の仕方、冠詞の使い方など。構成の仕方は、一番しっかりしている。ちょっとした違いの積み重ねがA-とA+の違いになってしまっているが、差を埋めるのはそれほど難しくないと思う。」とのアドバイスを頂きました。
 
 アメリカ人初の日本の司法試験合格者であり、コロンビアロースクールのJDプログラム卒業者でもある、「リーガル・エリートたちの挑戦」の著者、ダグラス・フリーマン氏は、次のように語っています。「(最初の学期の成績は、A、A-、Bだった。人生の半分を過ごした)日本で生まれ育ったハンディを克服するために勉強にきているのだから、最初からオールAですべてをマスターしてしまったらわざわざ三年間ロースクールにいる意味がないだろう。苦い思いに打ちひしがれながらも、来学期また頑張ろう、という気持ちが湧いてきた。」Aレベルを二つもとっておきながら、なんて贅沢なとも思いますが。。。一方私は、今までの人生のすべてを日本で過ごしてきたのですから、そのハンディはフリーマン氏の2倍であり、それだけ克服のしがいがある、と考えるようにしました。

(4) たった一人の外国人

 一応気持ちを切り替えて日々の勉強をしていたものの、あれだけ勉強してこの成績だし、周囲もみな勉強しているから、この差は一向に縮まらないのではないかという不安はぬぐいきれませんでした。それに拍車をかけたのは、セクション75人のうち、言葉の不自由な外国人は一人だけであるという孤独感と劣等感でした。
 
 そもそも一学年225人のうち、留学生は私を含めて6人しかいません。しかもその内訳も、カナダが1名、オーストラリアが1名、ナイジェリアが1名、中国が2名で、英語圏出身もしくは留学経験者でないのは、私と中国からの留学生R君(秋学期に一緒に勉強したS君は米国の大学院を卒業しています)だけでした。R君とS君は私とは違うセクション(クラス)に所属しているため、授業は別々でした。私のセクションにはナイジェリアからの留学生O君がいましたが、彼は米国の大学および大学院を卒業していて英語に問題はなく、授業でも積極的に発言していました。つまり、私のセクションで言葉が不自由なのは私だけだったのです。

 同じセクションの学生とはいつも一緒の授業を受けていますから、少しずつアメリカ人の友人も出来てきました。しかし一方で、クラスでの発言もしどろもどろな私に対して、挨拶しても無視したり、冷たい態度をとったりする学生も少なからずいました。1年生の成績が将来を決める競争的なロースクールにおいて、自分のメリットにならないものとは付き合わないという態度は、ある意味当然のことといえるかも知れません。そんな私の状況も、あることをきっかけとして少しずつ変わってきました。

(5) 民事訴訟法中間試験

 春学期は、民事訴訟法・刑法・憲法I・物権法・ライティングの5科目16単位が必修です。勉強と英語にはやや慣れてきたものの、負担は決して軽くならず、科目が一つ増えたためかえって重く感じました。そのうち民事訴訟法では、ロースクールの授業としては珍しく、3月上旬にエッセイ2問から成る1時間の中間試験が行われました。試験が始まるやいなや、周囲の学生は相変わらず猛烈な勢いでタイプを始めます。秋学期試験後の教授面談からも、自分の答案には量が絶対的に不足しているとわかっていましたが、無理にスタイルを変えずに自分に出来ることだけをやろうと思って、答案構成に時間を使って簡潔な答案を書きました。

 これではまた良い成績は望めないな、と思いながら2週間後に結果を受け取ると、なんとそこには輝く「A」の文字が。Aはこの試験における最高点で、セクション75人中Aをとったのは私を含めて3人だけでした。担当のSyverud(シブルド)教授に話を聞きに行くと、「決して流暢な英語ではないが、それは採点対象ではない。必要なことがすべて簡潔に書かれており、最も良い答案の一つである」とのこと。秋学期の成績があまり良くなかったことを話すと、「それは教授によるスタイルの違いとしか言いようがない。私の好む答案はこういう答案なので、気を抜かずに期末も頑張るように」と励ましてくださいました。目標と自信を失いかけていた時期だっただけに、とても心強いアドバイスでした。

 ロースクールでは、お互いの成績や試験結果を聞いたり話したりしないという、暗黙のルールというかエチケットがあります。特に1Lの成績は将来を決定付けるほど重要といわれており、みな成績に敏感になっているからです。しかしこのときばかりは喜びを押さえきれず、一番仲の良かったJ君にこっそり答案を見せてAを取ったことを話してしまいました。J君は前期にライティングの最優秀賞を受賞していたので、良い成績を見せても別に妬まれないだろうと思ったのです。J君は私の今までの苦労をなんとなく察しており、また私ができる学生だとは思っていなかったようで、励ましてくれるとともに大変驚いていました。

 その後しばらくは特に大きなイベントもなく過ごしていましたが、春学期末試験も近くなった4月に入り、J君が突然、「二人で勉強しないか」と言ってきました。彼は今までG君およびC君とスタディーグループを作って勉強していたのですが、議論がどうもかみあわずあまり効率的でないとのこと。民事訴訟法のA答案をこっそり見せたことが効いたのか、「君となら本質的な議論ができそうだ」と言ってきます。こちらとしては大歓迎で、早速お互いのアウトラインを交換して、重要論点について質問し合いました。過去問についても互いに解答を作って検討し、実際の試験でも話し合ったところが出るなど、良い結果に繋がりました。しかしそれ以上に、ネイティブのアメリカ人、しかも能力的にも人格的にも尊敬できる友人が、自分のことを認めてくれたのが嬉しかったのです。

 しかしそれでも、この時点では多くのクラスメイトの私に対する見方はそれほど変わっていませんでした。特にJ君とかつてスタディーグループを作っていたG君とC君などは、表面上は挨拶などしてくれるのですが、私とJ君が一緒に勉強している姿を見て、いかにも納得がいかないといった表情を見せるのでした。

(6) 模擬裁判

 ライティングの授業では、期末試験の代わりに模擬裁判が行われました。春学期を通して作成した連邦最高裁に提出する仮想の訴状を使って、現役の裁判官・検事・弁護士といった実務家の前で、原告側と被告側に別れて討論を行うのです。私は同じセクションのTさんとチームを組むことになり(苗字のアルファベット順)、別のセクションの学生二人と対決することになりました。Tさんはアラバマ州出身の大柄なアフリカ系アメリカ人女性で、将来は訴訟弁護士を目指しているそうです。

 彼女とは今までにも何度か課題を一緒にやるチームを組んだことがありましたが、さばさばしたマイペースな性格で、わたしが外国人ということもあまり気に留めてない様子なので、大変にやりやすかったのを覚えています。模擬裁判の前にTさんおよび対戦相手と訴状の交換を行ったのですが、思ったよりもレベルは高くなく、一般的な学生の提出物はこの程度なのだな、と安心しました。特にTさんの訴状はお世辞にも褒められたものではなく、授業で強調されていたポイントを完全に無視しているし、引用(ブルーブッキング)は間違いだらけだし、本文は12ページまで許されているところを10ページしか書いていません。「あなたの訴状、なかなかいいポイントを押さえているわね」と褒めてくれたので、とりあえず、「君の訴状も、さまざまな論点がバランスよく配置されているよ(つまり、焦点がぼやけていて、何を言いたいのかよく分からない)」と返しておきました。
 
 本番の模擬裁判は、地元ナッシュビルの検事・弁護士、および別セクションを担当する教授の3人を裁判官として行われました。各自の持ち時間は質疑応答も含めて7分であり、私は、弁護側の一番手として陳述を行いました。裁判官と参加している学生のすべての目が集中する中で、とにかく落ち着くことを言い聞かせ、あえて細かな論点には触れず、自分の言いたいポイントを何度も分かりやすく繰り返すことを心掛けました。

 驚いたのは、Tさんの陳述です。訴状の出来からして、この子大丈夫かなと不安に思っていたのですが、いざ始まると、「まず第一に・・・たとえば・・・そして第二に・・・」と、驚くほど論旨が明確です。裁判官役もフムフムと納得顔で聞いており、本人も背筋を伸ばして堂々と見事なものでした。相手側意見に対する反証も彼女の役割でしたが、「あいつら絶対これ言ってくるわよ」と言っていたポイントを見事に相手側が指摘してきたので、完璧な対応でした。「本番に強い人」というのはいるのです。

 裁判の最後には、裁判官役からの批評がありました。私に対しては、男の検事の方が、「たぶん君にとって英語は第一言語ではないと思うのだが、たとえ第一言語であったとしても、これ以上明確にするのは不可能といっていいくらい、分かりやすい陳述だった」と褒めて下さいました。努力が評価されたのは素直に嬉しかったものの、一方で、まだまだ自分は外国人として見られているのだな、と感じました。

 さて、そんなわけでアップダウンを繰り返しつつも、どうにか軌道に乗ってきた感のあるロースクール生活です。そして春学期の期末試験終了後には、ジャーナルという学生が編集する雑誌の編集委員になるための選考会がありました。これが私の今後をさらに大きく変えていくのですが、それはまた次回のお話で。。。


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J.D.攻略法その7 1年目の夏休み-安堵の章 [J.D.攻略法]

(1) Journal Competition(ジャーナル編集委員選考試験)
 
 ジャーナルとは、課外活動の一つとして、2Lと3Lの学生が編集する法律論文集のことです。論文を投稿するのは主に学者・実務家で、編集委員である学生が、全ての選考および内容のチェックを行うところに特徴があります。特に学者にとって、論文を発表することは必須の目標・大きな実績であるため、学生が教授昇進のカギを握ることもあるのです。どのロースクールにも複数のジャーナルがあることが通常で、当校には、法律全般をカバーするLaw Review、国際法を扱うJournal of Transnational Law、音楽・映画・スポーツなどのエンターテイメント法や知的財産を扱う Journal of Entertainment and Technology Lawの3誌があります。

 ジャーナルの編集委員になることは、ほぼすべての学生の目標です。編集の過程でリサーチ・ライティングといった必須の技術が身につきますし、最新のトピックや議論に触れ、一流の学者や実務家との関係も出来ます。その一方で、採用した論文について、本文および引用を細かくチェックするといった地道な作業もあり、土日もつぶれてしまうほど負担は重くなります。それでも人気があるのは、ひとえに就職活動や将来の弁護士人生において大きなアピールになるからです。一般に、ジャーナルのメンバーシップは、成績優秀で高いスキルがあることの証明と考えられています。教授や裁判官を目指すには必須ですし、大手の弁護士事務所に就職する学生のほとんどがジャーナルのメンバーです。

 当校では、3つのジャーナルの2Lメンバーが約30名ずつ、つまり、1Lの227名から90名(約40%)のみがメンバーになることが出来ます。選考試験は各ジャーナル共通形式で行われ、基準は各ジャーナルによって多少異なりますが、1Lの学業成績と選考試験の結果が総合されます。総合成績の上位者から希望のジャーナルに振り分けられていくのですが、ほとんどの学生はジャーナルの「格」を重視し、Law Review、Journal of Transnational Law、Journal of Entertainment and Technology Lawの順で希望を出します。つまり、多少の例外もありますが、Law Reviewは学年の最優秀の30人、Journal of Transnational Lawはその次に優秀な30人が集まっていることになります。

 春学期の中ごろに、選考試験の説明会が開かれ、ほぼ1Lの全員が出席し、教室は満杯になりました。とうていメンバーになれなさそうな学生もおり、私に対しても、なんだお前もか、というような態度を取る学生もいました。各ジャーナルの編集長がそれぞれスピーチを行ないましたが、みな堂々としており、さすがの貫禄でした。その後、教授による、「選考試験をいかに勝ち抜くか」についての講義までありました。「選考する側にとって最も重要なのは、いっしょに編集の仕事をするメンバーとしてふさわしいかどうか。だから、論文の内容そのものの良し悪しよりも、試験の形式を守り誤字脱字をなくすといった当たり前のことに気を配りなさい。また、添付されている参考資料は非常に難解であるから、それをいかに理解し、自分の分かりやすい言葉で説明できるかという能力も問われている」とのことでした。

 ルールを守り細部に気を配るというのは、法律家として最も重要な資質の一つであり、ジャーナルのメンバーが就職で有利になることも頷けます。また、例年全体の8割程度が試験に申し込むものの、さらにその中ですべての試験を終えて提出するものは8割程度だそうです。つまり、単純計算で、227×0.8×0.8=145名が90の席を争うことになります。一見倍率は低いようですが、試験に申し込む学生はある程度自分に自信がある学生ですし、期末試験終了直後の夏休みにもかかわらず難しい課題を完成させて提出する生徒は相当にやる気がありますから、決して楽な競争ではありません。

 春学期期末試験終了の3日後の月曜日、選考試験の課題配布が始まりました。自分で学校まで資料を取りに行き、2週間後の月曜日までに提出しなければなりません。試験の疲れも取りきれていませんでしたが、なんとか起きて9時半ごろに学校に行くと、既に30名程度が受け取りを完了していました。既に競争は始まっているのです。試験は無記名式で、添付の論文の文法・表現上の間違いや誤字脱字をチェックする「文法テスト」、引用例についてBluebookというルールブックのとおりに正しく訂正する「引用テスト」、および課題論文の三部構成でした

 論文の課題は、ごく簡単に言うと「住民の海岸掃除活動は環境法に反するか否か」であり、問題の大まかな背景と、参考資料(法令、判例、論文など)が添付されています。添付資料以外の参照および他人との相談は厳禁されており、枚数も12枚に制限されています。そのため内容が似通うのは必至で、添付資料をいかに消化し、わかりやすく正確な論文を書くか、が勝負になってくるのです。添付以外の資料は使えませんから、「日本法ではこうなっている」などと言って独自性を出すことは出来ませんし、また、学校で日本法を知っているのは明らかに私だけなので、無記名試験という観点からも問題になるでしょう。

 教授の指導どおり、まずチェックリストを作り、初日はコーヒー片手にリラックスして、ざっと資料を眺めて全体像をつかむにとどめました。その後2日間かけて「文法テスト」と「引用テスト」を一通り終了し、その後は添付資料の通読に取り掛かりました。1週間目に本文を書き始める予定でしたが、添付資料の大部分は相当に難解であり、また判例の数も多く、とても消化し切れませんでした。やっと本文を書き始められたのは2週間目の中ごろであり、最後の2日は徹夜して、締め切りまで4時間をきったところでやっと満足できるものが仕上がりました。ふらふらの体で提出に行き、家に帰ってからは、とりあえず成し遂げた満足感で死んだように眠りました。

 その後1ヶ月は全く音沙汰が無く、やがて何度か「もうすぐ発表します」旨のメールが何度か届くようになりました。私も含め多くの学生はこの時期インターンをしていましたが、私達にとってはこの選考試験が夏の最大の関心事ですので、相当数の催促・問い合わせがあったようです。もしかしてもう合格者には直接お知らせが来ているのでは、などと半ばあきらめていた7月の終わりごろ、学校のホームページに合格者のリストが発表されたとのメールが届きました。怖くてとてもすぐに見ることが出来なかったので、とりあえずリストを印刷し、名前を紙で隠しながら一行ずつずらし、上から順番に合格者を見ていきました。私の名前は一向に見つからず、リストの最後にたどりつき、もうだめかと思った瞬間、Vanderbilt Journal of Transnational Lawの欄に自分の名前を見つけました。私の苗字はYで始まるため、アルファベット順のリストの最後のほうに来て当然なのですが、そんなことを考える余裕は無かったのです。

ジャーナルの表紙

 あらためて選ばれたメンバーを見ると、Law Reviewには、いつもクラスの最後のほうで「まとめ」的発言をするJ君やS君をはじめとして、Vanderbilt Scholastic Excellence Award(成績最優秀賞)の常連が揃っています。私が所属することになるVanderbilt Journal of Transnational Lawも、普段から優秀さの目立つクラスメイトが数多く選ばれており、自分がこんなところにいてよいのだろうかと思いました。同じジャーナルに選ばれたセクションメイト達にメールを打ったところ、「頑張っていい雑誌を作っていこう」「いいメンバーが選ばれているね」などの返事が次々と返ってきて、すでに良い意味での「仲間意識」が醸成されつつあるのを感ました。日本人LL.M.の友人からは、「日本の誇りだ」と、中国人LL.M.の友人からは、「アジアの誇りだ」と褒められました。

 入学前のキャンパスビジットでお世話になった別のロースクールのある教授にもメールしたところ、「きみのジャーナルは国際法で最も定評のあるものの一つだ。実は、私も8月に論文を君のジャーナルに提出する予定なので、よろしく頼む」とのメッセージを頂きました。私は2Lのヒラ編集員で論文選定の権限は無く、もちろん教授もそれはご存知でお世辞を言ってくれているのですが、なんだか国際法学会の一旦を担うメンバーになれたような誇大妄想を抱くほどでした。ちなみに、専門家の編集するジャーナルを含めた全米の国際法ジャーナルランキングでは、わがジャーナルは第8位にランクされています。

 一方で、何人かの「誰もが認める優等生」や「クラスでよく発言する熱心な生徒」が落選していました。ある優秀な学生が、試験問題は受け取りに行ったものの、サマーインターンとの両立が出来ず、結局棄権してしまったという話も聞きました。私以外の留学生では、カナダ人のK君、オーストラリア人のLさんは選ばれたものの、中国人のS君とR君、ナイジェリア人のO君は選ばれませんでした。今まで、Scholastic Excellence Awardを除いて、名前が公表されることはありませんでしたし、学生同士でも成績を話し合ったりはしませんから、だれが出来て誰がそうでないかは、本当のところは分かりませんでした。しかしこのジャーナルの選考で、明らかな「勝ち組」と「負け組」が分かれてしまったと言っても過言ではなく、あらためてロースクールでの競争の非情さを感じました。

(2)夏休みのインターンシップ

 ロースクールの夏休みは、約3ヶ月間と、非常に長いものになっています。かつては、学期中にはできない旅行をするなど、まさに「休み」として過ごす生徒もいたようです。卒業後は、2L終了後の夏休みにインターンをした弁護士事務所に就職するパターンがほとんどですので、1L終了後のインターンは就職に直接の関係は無いと言われています。しかし、実務経験を得る貴重な機会ですし、レジュメにも書くことが出来ますので、現在では何らかの法律関連の仕事をするのが通例となっています。
 
 最も人気の高いインターン先は法律事務所です。しかし、法律事務所側の事情として、1Lは技能に乏しくまた就職と直接は結びつかない(2年目のインターン先に取られてしまう可能性が強い)ため、よほど1L秋学期の成績が優秀か、何らかのコネがない限り、1Lを雇うことはありません。そこで、多くの学生は次善のインターン先として、裁判所・検察もしくはその他の政府機関などを選ぶことになります。

 私の場合は、幸運にも会社時代の先輩の伝で、NYCにあるDという弁護士事務所で働けることになりました。DはNYCでトップ10に数えられる名門事務所であり、「もぐり」である私をのぞいて、インターンは全て2Lで、イェール・ハーバード・コロンビア・NYUといった超一流のロースクールの学生が8割方を占めます。

 仕事では、入社数年目のアソシエイトの仕事を手伝って、簡単な契約書の作成や、日本法に関連するリサーチなどをさせてもらうことが出来ました。インターンといっても一日中働いている訳ではなく、毎日必ず何かしら、先輩弁護士が業務について説明するセミナーや、ライティング・ネゴーシエーションなどの実務訓練があります。アフター5は、大リーグ観戦、美術館や動物園を貸切ったパーティー、土日になるとカヌーツアーやカントリークラブでのイベントなど、盛り沢山の内容でした。こうしたイベントは、優秀な学生をひきつけるための手段として、多くの事務所で慣例となっているのです。

 NYの巨大事務所というと、だれもが死ぬほど働いている、という姿を想像していました。しかし、実際の彼らは、個人主義を貫くアメリカ人らしく、家族や自分の時間を大切にしており、それらを犠牲にしてまで働くのは格好が悪いと思っているふしがあります。また弁護士は、たとえば「Xという顧客のYという契約書にZ分使った」というように、一つ一つの仕事を分単位で詳細に管理しており、それを元に顧客への請求をしています。顧客に請求できる仕事がなければオフィスに残っていても仕方がないため、つきあい残業などはありえません。もっとも顧客の要求があれば徹夜の連続も辞さず、とくに若いアソシエイトなど何日もオフィスに泊り込むこともあるようです。

 さて、ジャーナルのメンバーに選ばれて有頂天の私でしたが、メンバーになるということはそれだけの義務が伴います。なぜ2Lが死ぬほどつらいといわれるのか、私も理解するときがまもなくやってくるのですが、それは次のお話で。。。


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J.D.攻略法その8 死ぬほどつらい2L-秋学期-混沌の章 [J.D.攻略法]

 さて、死ぬほど怖い1Lを何とか生き残り、念願のジャーナルのメンバーになった私でしたが、その先には死ぬほどつらいといわれる2Lが待っていました。確かにロースクールにも慣れ、精神的には多少楽になったかもしれません。しかし、2Lでは通常の授業に加えて、ジャーナル活動、そして来夏のインターンシップを得るための就職活動が始まり、そのやりくりに自分を極限まで追い詰めることになるのです。

(1) オンキャンパスインタビュー(一次面接)
 
 ロースクールの学生の就職活動は、2Lの秋学期に本格化します。名目上は2L終了時の夏休みのインターン先探しではありますが、インターン終了後には卒業後の就職のオファーももらえるのが通常であるため、実際は卒業後の就職先を探すのと同じことになります。例えば、NYの大規模事務所の場合、インターンに対する卒業後の就職のオファー率は95%以上といわれています。オファーをもらえない理由は仕事以外の問題が多いそうで、たとえば、「自分はインターンとして、毎日パーティー三昧のいかに楽しい生活を送っているか」という友達宛のメールを間違って所内全員に転送してしまった学生や、パートナーの奥さんとやんごとなき関係になってしまった学生などがいると聞きます。

 就職活動は通常、オンキャンパスインタビュー(一次面接)およびコールバックインタビュー(二次面接)に分かれます。オンキャンパスインタビューとは、全国各地の事務所がロースクールのキャンパスを訪問して行う面接のことです。もちろん事務所のリソースも限られていますから、事務所の「格」とロースクールの「格」を勘案して、最大限良い学生をとれそうな学校を訪問するという駆け引きが行われます。ロースクールの就職課にとっても、いかに格の高い事務所をキャンパスに呼ぶかというのが腕の見せ所です。仮にオンキャンパスインタビューをしない事務所の面接を受けたければ、履歴書を直接送るしかありませんが、そのロースクールの学生には基本的に興味がないということですから、面接に呼ばれる可能性はほとんどありません。

 バンダービルトは、ナッシュビルという南部の中核都市にあることから、東海岸や西海岸にある事務所の就職については地理的に不利になることは否めません。しかし、卒業生と学校の努力によって、当校を訪問する事務所は年々増えています。たとえば、私が2Lのときは、全体で200以上の事務所が当校を訪問し、特にそのうちVault社による全米弁護士事務所ランキング30位以内のうち20以上の事務所が含まれていました。同ランキングのトップ50の事務所における就職率というデータでは、バンダービルトは全米で第15位にランクされています。
 
 2Lの人数は225人ですが、一つの事務所がオンキャンパスインタビューをする人数は10~20人といったところです。そのため、次のような入札方式が取られています。まず学生は、面接を希望する事務所を1番から最大40番まで順番を付けて提出します。面接希望者が面接枠より多い場合は、事務所側が30%、学校側が70%の選択権を持つことになっており、事務所側は学校の成績と履歴書で選び、学校側は単純にその事務所の希望順位が上の学生から選んでいきます。つまり、成績や経歴が素晴らしければ、希望の面接をほぼ100%受けることができます。一方で、成績や経歴がそれほどではなくても、希望順位が高ければ高いほど、そして事務所の人気が低ければ低いほど、面接を受けられる確率も高くなります。

 全米弁護士事務所ランキング上位に入るような事務所は、「成績上位x%のみ」「成績3.xxx以上」「ジャーナルのメンバーであること」などと、面接を受けるための最低条件や望ましい条件を要求しています。また、学生側でも、自分の成績と経歴で受かりそうな事務所を選ぼうとします。そのため、事務所のランキングと人気度は必ずしも比例しません。一方で、あまり人気のない事務所では面接枠が埋まらないこともあり、その場合は当日の飛び込み面接も受け付けていたりします。

 私の場合、200以上の弁護士事務所から、「東京に事務所がある」もしくは「国際展開している」という2点を基準に、面接を志望する事務所をリストアップしました。しかし問題は、この2点を満たす事務所のほとんどが大都市に拠点を置き、全米ランキングも高いいわゆる「格の高い」事務所であることです。特に9つの事務所では、私の1Lの成績では必要最低条件を満たさず、門前払いをくらってしまう状況でした。しかし、1Lを生き残ることで多少ずうずうしさを身につけたのか、もしくはもともとの性格からなのか、だめもとで、「自分は条件を満たさないが、国際的な法律業務の経験もあり必ずや役立つであろうから、面接を受けさせてほしい」というメールと履歴書を送ってみました。

 すると驚くことに、2つの事務所からは「是非受けてください」との返信がすぐにありました。もう1つ別の事務所からは、「成績基準は絶対なので、残念です」との丁寧な返信がありました。残りの6事務所からは当然のごとく無視されましたが、本来無理なお願いをしているのはこちらですから、上々の結果でした。結局私は全部で30の事務所の面接を申し込み、その半分の15の事務所の面接を受けられることになりました。希望順位の低い事務所はほとんど抽選に外れてしまい、周囲に聞いても、10~20の面接を受ける学生がほとんどでした。

 面接は全て平日の日中に組まれており、授業を抜け出して面接を受けることもしばしばでした。若い学生の中には、まだスーツを着慣れておらずスニーカーを合わせてしまうものもおり、かつての日本での就職活動を懐かしく思いました。また、この時期には既にジャーナルの仕事も始まっており、ジャーナル・授業・面接の困難な三立が要求されました。ジャーナルの仕事が徹夜になってしまい、一睡もせず面接を2つ連続で受けたこともありました。その面接は思いのほかスムーズに進んだように感じたのですが、それが自分の英語が上達したためなのか、単に頭が朦朧として現実を認識していなかったのかは定かではありません。

 実際の面接は15分程度なので、「なぜこの事務所か」「なぜロースクールに来たか」「なぜこの都市か」といった基本的なことしか聞かれません。一般的に、二次のコールバックに呼ばれるのは10~20%で、事務所の側でも、成績と履歴書で面接前にほぼ当たりを付けているといわれています。面接官はほとんどがバンダービルトの出身で、しかもジャーナル経験者が多く、ジャーナルの話が弾むこともしばしばありました。一方で、NYとLA以外にある事務所では、なぜその都市かということがうまく説明できず、気まずい雰囲気になってしまうこともありました。

 2番目に面接を受けたNYのある事務所からは、面接の翌日に一次通過のしらせが電話であり、数週間後に現地で二次面接を受けられることになりました。入学試験のときとは違って、幸先の良いスタートでした。一方で、面接でも面接官があきらかにやる気を見せていなかったいくつかの事務所からは、一週間ほどで「I regret . . . 」で始まる薄っぺらい例の不合格通知が届きはじめました。その他の事務所からは音沙汰が無く、就職課の「便りの無いのは良い知らせ(No news is good news)」という言葉を頼りに、吉報を待ち続けました。合格通知は通常電話で来るといわれているため、帰宅して電話に着信履歴があるたびに気分が高揚するものの、どきどきしながら留守録メッセージを聞いてみるとクレジットカードの勧誘、という落胆の日々が続きました。

(2) コールバックインタビュー
 
 コールバックインタビューとは、オンキャンパスインタビューの合格者を、事務所の本拠まで招いて行う二次面接のことです。飛行機代、食事代、ホテル代など、すべて事務所持ちとなります。1L時の成績が良いと、面接を受けたほとんどの事務所からコールバックをもらうこともあります。同じジャーナルのメンバーで、3Lの時には編集長になることになるKさんなどは、1週間かけて全米各地の8事務所を訪問するそうで、こうなるとちょっとした大名旅行気分でしょう。
 
 コールバックは半日掛けて行われ、パートナーおよびアソシエイトそれぞれ数人と個別に20~30分の面接をした後、ランチもしくはディナーに行くのが通例です。私の場合、パートナー2名、アソシエイト1名と面接後、別のアソシエイト2名とランチに行きました。パートナーの一人は、「私も忙しいんでどんどん行くよ」と、矢継ぎ早に質問を投げかけてきました。最後に何か質問はないかと聞かれたので、「新人アソシエイトに何を求めますか?」と聞いたところ、「完璧であること(perfection)」と、真顔で答えられました。

 その後面接を受けた3人のアソシエイトは、年齢が近いこともあってか、「何でも聞いてくれ」というような気さくな雰囲気でした。私もなるべく多くの質問をして、少しでも興味があることをアピールしようと努めました。全部で約3時間程度のコールバックでしたが、終了後は疲労困憊で、もう二度と受けたくないというのが正直な感想でした。とにかく頭を休めたかったので、NYの紀伊国屋でマンガを買い込み、帰りの飛行機の中で読みふけりました。

 コールバック後、通常であればすぐに通知があるはずでしたが、2週間近く何の音沙汰もありませんでした。コールバックの成功率は一般に60~80%と言われ、面接の感触も決して悪くは無かったため、この事態はショックでした。入学試験のときのように、今から別の事務所に履歴書を送ってインタビューを模索する道も無いわけではありませんでしたが、アメリカ人ではなく、ジャーナルのメンバーということ以外にさしたる特長のない私を受け入れてくれる事務所がそう簡単に見つかるとは思えませんでした。ところが半ばあきらめた頃になって、コールバックを受けた事務所から電話があり、サマーインターンのオファーをもらうことが出来ました。前半をNY、後半を東京事務所で過ごすという最高の内容で、その場で受諾しました。その後、別の事務所からも日本語の出来る弁護士を探しているというお話を頂くことができましたが、丁重にお断りしました。

 周囲を見渡すと、この就職活動を通して明らかに「勝ち組」と「負け組」が分かれていました。ジャーナルのメンバーの状況は概して良く、面接を受けたほとんどの事務所から二次面接合格をもらい、どこにしようか贅沢な悩みを抱える学生も多くいました。また、ジャーナルのメンバーでなくても、生徒会の役員など課外活動に力を入れている学生や、はじめから大都市を避けて地元や田舎に絞って就職活動した学生などは、無事インターン先を見つけていたようです。一方で、留学生や1Lのときにあまり勉強をしていなかったように見られる学生の中には、インターンとしてのオファーをもらえなかったものも少なからずいました。彼らは、就職のオファーの可能性が非常に低い無償でのインターンや、弁護士事務所以外でのインターンを模索していくことになるのです。
   
(3) ジャーナル活動
 
 私の所属するVanderbilt Journal of Transnational Lawは、1968年に創刊された、Vanderbiltでは二番目に歴史の古いジャーナルです。一年に5回発行され、論文の選定・編集など全ての過程は学生によって行われています。2L32名と3L30名の計62名の編集委員のうち、3Lの10名がEditor-in-Chief(編集長)を筆頭とする役員として中心的役割を果たし、残りのメンバーはヒラの編集委員として作業を手伝います。ヒラの編集委員の仕事は、もっぱらブルーブッキングという地道な作業になります。
 
 米国の法律論文の特徴として、その引用の多さがあります。基本的ルールとして、純粋な自分の意見を述べている文章以外は、必ずその文章の間接・直接的な引用元を明記しなければいけません。学者の論文であれば、一つの論文につき少なくとも300箇所以上の引用があるのが通例です。ブルーブッキング(Bluebooking)というのは、その引用一つ一つが、形式的かつ実質的に正しいかどうかをチェックする作業のことです。引用の正しさは、当該論文の価値・説得力などを高めるだけでなく、将来の研究作業に多大な影響を及ぼすため、本文と同様に、時には本文以上に重要視されます。それだけに、ジャーナルのメンバーの大部分がこのブルーブッキングに携わっているのです。

 形式的なルールは、ブルーブック(bluebook)という400ページほどの冊子に載っています。たとえば、句読点の打ち方に始まり、大文字小文字イタリックの使い分け、単語の省略方法などが詳細に定められています。特に、引用元の種類、つまり本・論文・判例などによって、引用方法が異なります。外国文献の引用方法も国別に詳細に定められており、たとえば大日本帝国憲法時代の判例の引用方法まで載っています。

The Bluebook

その中身

 また、引用は実質的な内容も正しくなくてはなりません。たとえば、引用文献が本当に筆者の主張を裏付けているものかどうか、全て元の文献までたどって調べなければなりません。本来引用するべきところがあたかも自分の意見として述べてられていたり、空欄になっていたりする場合もあり、そのときには我々が引用として使える文献を探してこなければいけません。ですから、たった一箇所の引用であったとしても、引用元の論文100ページを全て読まなければいけない場合や、引用文献を探して図書館を数時間めぐり歩くこともあります。
 
 一本の論文は数人の2Lに振り分けられるため、自分が担当する引用箇所数は50~100となります。通常1~2週間程度の締め切りが設けられ、授業の予習復習をこなしながらでも可能な量であるとされています。しかし実際には、たった一箇所の引用について膨大な量の論文を読んで内容を確かめなければいけなかったり、引用方法が全くブルーブックに則っておらず一からやりなおしたり、作業は遅々として進みません。私の場合、授業の予習復習や就職活動の合間だけではとても間に合わず、土日のほとんどをジャーナルに充て、さらに提出直前は徹夜作業になることがほとんどでした。秋学期中のアサインメントは5回あり、1回につき30~40時間を費やしていたと思います。私がこれほどまで真剣に取り組んだのも、このブルーブッキングが唯一ネイティブたちに勝てる分野であると知っていたからです。

 最初に担当することになった論文は、ドイツ人教授の書いた「盗難絵画の国際的返却義務について」の論文でした。採用されるだけあって、論文の内容自体は非常に価値が高そう(2Lになったばかりの自分には正直なところ本当の価値はわかりません)でしたが、問題は、引用方法が全くブルーブックに則っていないことです。と申しますのも、ブルーブックはアメリカ独自のもので、アメリカのロースクールで教育を受け、かつジャーナル活動などを通して訓練をつまなければ身につくものではありません。引用の実質的正しさはともかく、形式的には正しい部分を見つけるほうが困難なほどで、私の担当部分は全て真っ赤な修正マークで埋め尽くされました。

 この時期ジャーナルのメンバーに会うと、だれもがブルーブッキングに対する不平不満を口にしました。確かに時には、自分が都合の良いアシスタントとして、ただ働きをさせられているという憤りを感じることもありました。しかし、それでも私は、ジャーナルの作業を嬉々として行いました。論文のプロである教授の書いたものを、素人のしかも外国人の自分が真っ赤に修正してよいというのは、通常では考えられない特権でした。何よりも、1Lを通して味わった劣等感・疎外感を脱ぎ捨て、ジャーナルの単なる一つの歯車という存在ではあったにせよ、自分が必要とされていることがうれしかったのです。また、ジャーナルのメンバーという肩書きは、周囲の目を大きく変えました。1Lのときは私を無視したり、なんとなく冷たい態度を取ったりしていた学生もいました。しかし現金なもので、このころには、向こうから積極的に話しかけてくるようになりました。2L夏休みのインターン先が決まったことを話しても、それは決まって当然だという反応がほとんどでした。

 さて、死ぬほど怖くつらかったロースクール生活も半ばを過ぎました。授業・就職活動・ジャーナルの三重苦も、運よく結果のでた今となっては、良い思い出です。この後私はさらにジャーナルにのめりこんでいくことになるのですが、それはまた次回のお話で。。。 


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J.D.攻略法その9 死ぬほどつらい2L-春学期-飛躍の章 [J.D.攻略法]

 2Lの春学期には、7科目17単位という入学以来最最多の単位数を取得するという忙しさに追われるとともに、ジャーナルでは大きなイベントが目白押しでした。

(1) ジャーナル編集役員選挙

 春学期のジャーナル活動の目玉の一つは、来年度のBoard Member (編集役員)の選挙でした。我がVanderbilt Journal of Transnational Lawでは、3Lメンバーのうち、10名が編集役員として運営の中心的役割を果たします。Boardは、編集長である Editor in Chief を筆頭に、Executive Managing Editor (副編集長)、論文採用の責任者である Executive Research Editor、2Lの論文作成を指導する Executive Student Writing Editor、ブルーブッキングの責任者で2Lを指導監督する3人の Executive Authorities Editors、広報責任者の Executive Development Editor、営業責任者の Executive Administrative Editor で構成されています。編集役員以外の3Lは、2・3名ずつそれぞれの部門にわかれ、役員の下で働くことになります。

 編集役員の明らかな特権(?)は、ジャーナルに関する単位を1単位多くもらえるだけです。その一方で、編集役員になることによる物理的・精神的な負担の多さはとても1単位で報われるようなものではありません。しかし、選ばれてジャーナルのメンバーとなり、この一年間地道なブルーブッキングに精進してきた2Lにとって、役員になって実質的なジャーナルの運営を行うことは大きな目標となっています。また、ジャーナルメンバーの中でも選りすぐりのメンバーであるという、一生レジュメに残る名誉を手にすることができるのです。もっとも、ブルーブッキングですっかりジャーナルが嫌になってしまい、3Lではもう深くジャーナルにかかわりたくないというメンバーも、少数ではありますが存在します。

 現編集長のG君によれば、「君たち2Lはアサインメントのたびに数十時間を費やすことに疲れているかもしれないが、僕は編集長として毎週それくらいの時間を使っている。授業は月曜日から水曜日に集中させ、木曜日から日曜の四日間は全てジャーナルのためフルタイムで働いている。編集役員になることは大きな名誉であり、得るものも大きいが、それくらいの覚悟がなければ、編集役員には立候補しないほうが良い」とのことでした。G君はまだ大学を出て数年しか経っておらず、私よりはるかに年下のはずですが、一つ一つ言葉を選びながら明確に論理的に話すその姿は、ジャーナルおよび学校の代表であるという自信と貫禄に満ち溢れています。

 編集役員の選挙といっても、単純な投票ではありません。選挙期間は約二週間で、オリエンテーション・ビールを片手のカジュアルミーティング・様々な書類の提出・現役員陣とのインタビューなどが行われ、最終的な決定権は現役員陣が持っています。提出する書類の中には、レジュメや過去の論文だけでなく、以下のような特徴的な3つが含まれています。(1)希望順位:編集長から各部門のヒラまで、1から13まで自分の希望順を記入します。その後全員の希望が集計され、一覧表として各人に配られるので、だれが何を希望しているか一目瞭然になります。(2)Board Tree:ジャーナルの組織図の名前の部分が空欄になっており、自分にとって理想のメンバーの名前をそれぞれ記入します。単に役員を選ぶだけでなく、希望順位などを参考に現2Lのメンバー34名全てをうまく配置しなければなりません。ちょっとした人事部の気分です。(3)コメントシート:34名全てについて、長所・短所など記入します。つまり、普段のアサインメントの評価に加え、3Lを含む周囲の評価、人柄など、全てが総合的に評価されるのです。

 私はジャーナルの仕事が大好きで、是非役員としてジャーナルの根幹にかかわりたいと思っていました。その一方で、果たしてNon-Nativeである自分が、学校を代表するジャーナルの運営という重責を担えるのか、そして全員Nativeであろう来年の2Lを指導していけるのか、大きな不安がありました。しかし、普段のアサインメントには常に良い評価が返ってきていましたし、編集長のG君や他の役員からも励まされ、とりあえず希望だけはしてみようと思いました。

 結局、ジャーナル全般に広くかかわることの出来る副編集長を第一希望、自分に最も向いているであろうブルーブッキングの責任者であるExecutive-Authorities-Editorを第二希望として提出しました。後日配られた全員の希望一覧を見ると、やはりやる気のあるメンバーは総じて役員を希望しており、苦戦が予想されました。その一週間後に、現役員達との面接がありました。予めカレンダーにアポイントメントを記入するのですが、「10分間、20分間、もしくは30分間、自分の希望する役職に応じてインタビュー時間を選べ」とあり、この辺りの自主性もなんともアメリカ的です。私は当然のごとく30分間を選んだのですが、果たして役員全員の前で30分間も話すことがあるか不安でした。面接は友好的な雰囲気であったものの、Non-nativeにどれだけ任せてよいものか役員の間でも考えあぐねている印象がありました。

 翌週すぐに編集長のG君から全員宛のメールが送られてきました。大変格調高い文章で、「もうすぐ役員が発表される。希望者は全員高い能力があったが、全員を役員にすることは出来ない。役員になってもならなくても、全員がこのジャーナルに計り知れない貢献をしていることを忘れないでほしい。」という内容でした。数十分後にPDFファイルが送られてきて、なかなか起動しないファイルにやきもきしながら待ちました。役員メンバーのほぼ中心に、Executive-Authorities-Editorとしての自分の名前を見つけたときには、今までジャーナルに費やした時間と努力だけでなく、ロースクールに来ることを決意してからの全ての苦労が報われたような気分でした。一方で、役員を強く希望していたメンバーがかなり落選しており、「あれは単なる仲良しクラブさ」などという陰口もちらほらと聞こえてきました。しかし、役員に選ばれた10人の顔ぶれを見ると、派手でいかにも目立つ切れ者というよりも、目立たないが丁寧にこつこつ仕事をこなす優等生タイプが多く、現役員陣もさすが良く見ているなという感想を持ちました。

編集役員集合

(2) 論文執筆
 
 ジャーナルでのもう一つの大きなイベントは、2L全員の義務である論文の執筆でした。私のテーマは、「日米紛争における、日本の非弁護士法務部員の守秘特権、ロースクールの出現でどう変わるか」です。米国の企業では通常弁護士を法務部員として雇用しており、企業と法務部員の間のコミュニケーションは、弁護士の守秘特権として一般的にその機密が守られます。しかし、法律の異なる日本、特にほとんどが弁護士資格を持たない日本の法務部員に対して、その特権が適用されるのかどうかは明確ではありません。こうした問題を、近年の日本のロースクールの動向を踏まえて展望したものです。実はロースクールに来る前から、法務担当者として常々疑問に思っていたテーマであり、いつか論文にできればと思っていました。

 この論文に対しては1単位が与えられるだけですが、34名中15名の論文が選ばれ、来年度のジャーナルに掲載されることになっています。最初のうちは、既存の似たテーマを扱った論文や本・判例などをとにかく集めてきて、問題の所在や主要論点などの骨子を組み立てていきます。しかし単なる既存文献の引用では論文としての価値が出ませんから、最終版が近づくにつれて、どうオリジナリティを出していくかが重要な問題となってきます。最終版の提出は、幸か不幸か一週間の春休みの直後であり、結局休みは全て論文でつぶれてしまいました。しかし、大学の卒業論文でお茶を濁してしまった自分にとって、この論文は初の大作であるとともに、論文のコピーや本に埋もれながら一つの作品を仕上げるというのは非常に良い経験になりました。

 掲載の確率は50%近くあったものの、日ごろのアサインメントとは違って、一つの作品としての論文がどれだけ評価されるかは未知数でした。提出して数週間後、例によってメールで結果が送られ、アルファベットYで始まる私の名前はリストの最後にちゃんと載っていました。(米国人にとっての)テーマの珍しさと、実務経験に基づいた記述が評価されたとのことでした。

(3) アワード

 ジャーナルのアサインメントやイベントも4月に入るとほぼ終わり、最後のイベントとしてイタリアンレストランを貸し切っての納会が行われました。ナッシュビルにしては珍しくいけるイタリアンのコースのあと、各賞の授賞式が行われました。そのほとんどが卒業していく3L向けであり、2Lについては一名のみ、2L Editor AwardというMVPのような賞が与えられます。

 普段のアサインメントについては人一倍時間をかけていた自負はあったものの、実際に「This year's award is given to M!」というアナウンスを聞いたときはこのうえない喜びでした。「おー、さすが」という賞賛の声と、「えっ、あいつあんな出来る奴だったの」という空気の入り混じった受賞でした。実はこんなこともあろうかと、スピーチをひそかに用意していたのですが、残念ながらその機会はなく、あっさりと表彰状(レターサイズのただの紙)を渡されました。アメリカ人にとっては相当珍しいであろう私の名前が誤記されていたのはご愛嬌です。

 後日、写真のような立派な盾が届きました。賞の正式名称をVanderbilt Journal of Transnational Law Second Year Editor Awardと言い、Awarded to the Second Year Staff Member Who Has Made the Most Significant Contribution to the Advancement of the Journal During the School Year(ジャーナルの進展に最も重要な貢献をした2年生に送られる)とあります。賞と名の付くものをもらったのは、はるか昔の皆勤賞以来かもしれません。今度は名前も正しく彫られていました。

(4) 短期集中講座と24時間持ち帰り試験
 
 バンダービルトでは、学期を通じて授業を行う通常授業に加え、いくつかの短期集中講座を用意しています。一週間程度、平日の夜や土日を使って授業が行われ、1単位を取得できます。短期集中のため、判事・弁護士などの実務家を講師として招聘し、通常授業よりも専門性の高い講義がそろっていることが特徴です。私は今学期初めてこの短期講座を履修し、Corporate Governance(会社統治)、International Trade Law(国際貿易法)、International Business Transaction(国際ビジネス取引)の3科目を学びました。

 中でも最も興味深かったのはCorporate Governanceでした。講師は現役バリバリのデラウェア州裁判所のホランド判事です。会社法といえばデラウェア州というほど、デラウェア州の会社法は整備されています。たとえば、近年日本でも、ホリエモン現象を受けて敵対的買収防止策などを導入する動きがありますが、その多くはデラウェア会社法が元祖です。テキストはデラウェア州の会社統治に対する主要な判例(近年ではディズニーのCEOの退職金が莫大だとして起こされた株主訴訟など)を網羅しているのですが、実はその3分の1ほどはホランド判事自身によるものです。自分のことを、「この裁判官の言うところによると、、、」などといいながら、判例を書いた判事自身が内容を説明してくださるという、貴重な体験をすることができました。
 
 短期集中講座は期中に行われ、各人授業のスケジュールが異なるため、一斉に集まって試験を行うことが出来ません。そのため、平日の日中に試験を受領し、その24時間後に提出するという特殊な形式がとられています。24時間というと相当な時間のように感じられますが、土日に試験を受けることは出来ませんし、平日は通常の授業やジャーナルの仕事との掛け持ちになってしまいます。それでも時間をかければ掛けるほど良い答案が書ける(はず)なので、通常の教室で限られた時間に受ける試験に比べれば、(特に言葉のハンディがあるものにとっては)やりやすいといえます。

 実際の問題は非常に基本的な事項を尋ねる論述形式で、字数制限もありました。ですから、みなが書くような論点をしっかりと抑えつつ、いかにわかりやすい組織立った解答が書けるかがポイントです。この形式は非常に私にあっていたようで、後日成績が発表されたときには、ロースクールに入って初めてのVanderbilt Scholastic Excellence Award (成績最優秀賞) を受賞することが出来ました。通常の試験とは異なるとは言え、受講をしていた100人を超すネイティブを抑えて賞を取ることが出来たのは、この上ない喜びでした。

 以前の記事で、1Lのころには、私を無視したり冷たい態度を取る学生も少なからずいたということをお話しました。しかし、2Lを終えようとしていたこのとき、私に対してそうした態度をとる学生はいなくなりました。また、1Lのころは語学の壁から来る劣等感・疎外感に悩まされていたこともお話ししました。語学の壁はいまだに高くそびえ立っていましたが、ジャーナルという自分の居場所を見つけられたことによって、そうした悩みは小さなものとなりました。死ぬほど怖いといわれる1L、死ぬほどつらいといわれる2Lを生き残り、あとは死ぬほどだるいといわれる3Lです。しかし私にとってはだるいというよりも、初めてロースクール生活を心の底から楽しめるような3Lになるのですが、それはまた次回のお話で。。。


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J.D.攻略法その10 死ぬほどだるい?3L-充実の章 [J.D.攻略法]

 J.D.の3Lの生活は、死ぬほどだるいといわれます。すでに卒業後の就職先も決まっている学生が多く、あまり勉強をがつがつとする雰囲気ではありません。死ぬほど怖くそしてつらかった1Lと2Lの反動もあって、なるべく楽な科目を取り、単位を落とさない程度に遊びまくる学生もいます。その一方で、時間的・精神的な余裕を生かして、ジャーナルをはじめとする課外活動に力を入れたり、専門性の高い科目を取って実務に生かそうとしたりする学生も多くいるのです。

(1) ジャーナルの役員として
 
 前回お話したように、ジャーナルの役員に選ばれた私にとっては、だるいといっている暇はありません。Executive-Authorities-Editors(引用責任者)となった私、Rさん、Lさんの3人の最初の仕事は、夏休み終了直前に行われる新2L向けのオリエンテーョンでした。我々は新2Lの指導監督者として、仕事のやり方を一から説明してあげなければいけないのです。準備段階として、まずは我々3人の中での役割分担を話し合わなければいけないのですが、それが必ずしも簡単ではありません。

 Rさんはネブラスカ州出身で、Scholastic Excellence Awardの常連、自分は優秀というプライドに満ち溢れた白人女性です。一方Lさんは、ノースカロライナ州出身のアフリカ系アメリカ人女性で、これまた優秀、アフリカ系アメリカ人のリーダー的存在です。二人とも個性が強く、早口で自分の意見を主張します。二人の議論がヒートアップしてくると、私のリスニング能力では何を言っているのかわからなくなることもありますが、別に喧嘩しているわけではないので、私はそっと席をはずすことにしています。

 オリエンテーションでは、30人の2Lを集め、役割や仕事の仕方を説明しました。まだ何もわかっていない2Lは、漏れ聞くジャーナルの大変さに不安を感じているのか、我々の説明に聞き入っています。期日を守ることの重要性を繰り返し説明しましたが、相手は全員アメリカ人ですから、たとえ選ばれたメンバーといっても、どこまで期日を守るかは未知数でした。しばらくすると、案の定、アサインメントを期日どおりに提出しなかったり、仕事のやりかたがいい加減だったりする2Lが出てきます。怒るのは簡単ですが、彼らがモチベーションを失ってしまったら、結局苦労するのは我々です。ちょっとした管理職の気分で、褒めたり、なだめすかしたり、時には個別に呼び出してやんわりとお説教をすることもありました。お説教をするときは、もっぱらRさんとLさんにまかせ、私はフォロー役に回るのですが。

 2Lが提出したアサインメントは、3Lのヒラのメンバーによってチェックを受けたのち、我々の元に届きます。我々は2Lの指導監督だけでなく、論文の引用の正確性に最終的な責任を負っています。我々のところに来た段階での引用の形式的な正確性、すなわちブルーブッキングの正確性は、良くて50%といったところですが、それを100%に仕上げるのが我々の仕事です。また、実質的正確性についても、時間の都合上全ての引用元の文献をチェックすることは出来ませんが、2Lの判断が怪しい場合や我々に判断を求めてきている場合など、引用元の論文100ページを全て読み直すなどということもあります。

 我々がこれだけ引用の正確性にこだわるのも、それが論文の価値、ひいてはジャーナルの価値を大きく左右するほど重要だからです。あるとき、2Lが、「この論文はどうも引用元の記述を自分の意見としてそのまま使っている部分が多い」と言ってきたことがあります。別の文献の記述を丸ごと引用することは、それが直接の引用であると明示されていればルール違反ではありません。しかし、この論文の場合は、直接の引用であるとの明示がありません。そしてよく調べてみると、この論文そのものが、数本の論文をパッチワークのようにつなぎ合わせたものだということがわかりました。平たく言えば、盗作です。我々はすぐに著者にコンタクトし、論文を大幅に書き直してもらいました。このようなことは、ただ論文の本文を読んでいるだけではわかりません。何人ものメンバーが細かく引用をチェックしていくことによって、初めて発見できるのです。

 毎週月曜日の昼休み、役員10人全員が集まって役員会が開かれます。各部門の進捗状況の報告に始まり、運営をさらに効率よくするためにどう組織を変えていくべきか、2年に1度開催しているシンポジウムのテーマを何にするか、アサインメントの出来が悪い問題児にどう対処するかなど、ジャーナルの運営にかかわること全てが話し合われます。今年度の編集役員は穏やかな人物が多いのですが、意見が衝突することもあります。たとえば、上記の盗作事件については、出版を取り消すべきという意見と、論文のテーマそのものは価値があるから書き直してもらうべきとの意見に強く分かれました。大教室の授業での発言にはいまだに緊張する私でしたが、この役員会では発言が尊重されることがうれしく、毎週月曜日を心待ちにしている自分がいました。

 春学期になると、早いもので、もう来年度の役員を選ぶ時期になってきました。一年前、役員全員との面接で硬くなっていた自分を懐かしく思います。自分が面接官の立場になるというのは、日本で働いていた時期を含めても、初めての経験でした。同じ役員を希望するものでも、ジャーナルをどう運営していくべきか明確なビジョンとプランがあるものと、単に役員という名前が欲しいもの、面接をすればやる気があるかどうかは一目瞭然です。来年度の編集長は、常に質の高いアサインメントを提出し、他人の仕事も積極的にサポートしていたJ君にすんなりと決まりました。2Lの32人のメンバーを各部門に配置しなければならないのですが、票決は全員一致でなくてはならず、深夜まで議論は続きました。最後の32人目のスポットを決めた瞬間、シャンパンの栓が抜かれ、役員としての最後の大仕事をなしとげたことを祝いました。

(2) クラークシップへの挑戦
 
 ジャーナルのメンバーシップ、就職、各Awardの受賞と、様々な目標を達成してきた私にとって、最後の挑戦はクラークシップの獲得でした。クラークシップとは、卒業直後の学生が、裁判官の助手として1年間ないし2年間働く制度のことを言い、学生にとっては最大の目標といっても過言ではありません。裁判官とその歴代のクラークで形成されるグループは、米国法曹界のエリート中のエリートであり、一生の財産となるのです。ロースクールの教授、裁判官、全米トップの弁護士事務所の弁護士のレジュメには、かなりの確率で、「xx年、yy裁判官のクラークを務める」の一文が載っています。クラークシップを獲得するような学生は、一流の弁護士事務所から内定をもらっていますが、この場合弁護士事務所は内定を1年ないし2年遅らせ、入所時には大きなボーナスを払うことが通例になっています。
 
 クラークシップにも、「格」というものがあり、特に高く評価されるのは、連邦高等裁判所、連邦地方裁判所、州最高裁判所の3つの判事のクラークです。ちなみに、クラークの頂点である連邦最高裁判所のクラークは、卒業直後になることは出来ず、毎年連邦高等裁判所のクラークから選抜される仕組みになっています。バンダービルトからは、過去に3名の最高裁判事のクラークが出ています。
 
 一人の裁判官が雇用するクラークは2名程度で、連邦裁判所の裁判官は全国で300名程度、各州の最高裁判所の裁判官の数も限られています。そのクラークを目指して、全国の学生が熾烈な競争をするのです。クラークシップ獲得の可能性を決めるのは、第一にロースクールの格、第二にそこでの成績、第三に個別の裁判官との相性になってくるでしょう。たとえば、ロースクールの不動のトップであるYaleでは、50%近くの卒業生がクラークシップを獲得します。バンダービルトでは、毎年10人から20人程度の学生がクラークシップを獲得しており、少なくともトップ10%程度の成績が要求されるようです。私の成績は徐々に上がって、学期別トップ20%のDean’s Listにも入ることが出来ましたが、クラークシップ獲得は非常に難しい状況でした。学校のアドバイザーからも、留学生という立場でクラークシップを獲得するのは不可能に近いといわれました。それでもここまできて失うものはありませんから、とりあえず挑戦だけはしてみようと思いました。
 
 クラークシップ獲得のためには、まず履歴書と推薦状を送る裁判官を選ぶ必要があります。その数は少なくとも50から100は必要と言われます。そのうち一つでも二つでも面接の声がかかれば上々とされています。私は、少しでも自分に興味を持ってくれそうな、バンダービルト出身の裁判官・日系人の裁判官・テネシー州の裁判官を50人程度リストアップして書類を送りました。結果として、バンダービルト出身で、クラークも是非バンダービルトからとりたいという一人の連邦地方裁判所判事の面接を受けることが出来ました。面接の出来は悪くありませんでしたが、そのクラークシップはローレビューの副編集長であるAさんが獲得しました。ローレビューの副編集長のアメリカ人と、第二のジャーナルの編集役員の日本人とでは、全く勝負になりません。2007年度の卒業生のうち、いわゆる格の高いクラークシップを獲得したのは10名ほどで、そのほとんどがジャーナルの役員、例外的に裁判官との強いコネクションを持っている学生もいたようです。クラークシップを獲得できなかったのは残念ですが、もし自分が判事の立場であれば、よほど優秀な場合を除いて、外国人を採用することはないと思います。そういう状況で、たった一人であっても面接を受けることができただけで満足でした。

(3)ナッシュビルの楽しみ
 
 3Lになっても、一年間で28単位を取得しなければならず、またジャーナルの役員としての仕事もありました。それでも、1L・2Lのときよりもはるかに精神的・時間的な余裕ができ、学校以外の生活も楽しむことが出来るようになりました。ナッシュビルはNYやLAのような大都市ではありませんが、お金をかけずに気軽に楽しみを見つけることが出来ます。近辺にあるテニスコートやゴルフ場は無料もしくは格安ですし、大学やプロのスポーツ観戦も気軽に出来ますし、車があれば近郊へのドライブも楽しいものです。詳しくは、私を含む在校生・卒業生の書いた以下の記事や、その他の週替わり日記を参照していただければと思います。

ナッシュビルの街
http://blog.so-net.ne.jp/vanderbilt-law-japan/2006-08-21-3
ナッシュビルの四季
http://blog.so-net.ne.jp/vanderbilt-law-japan/2007-04-15
ナッシュビルのスポーツ観戦
http://blog.so-net.ne.jp/vanderbilt-law-japan/2007-04-19
ナッシュビル近郊への観光
http://blog.so-net.ne.jp/vanderbilt-law-japan/2006-10-06
http://blog.so-net.ne.jp/vanderbilt-law-japan/2007-02-19
http://blog.so-net.ne.jp/vanderbilt-law-japan/2007-04-11
卒業式
http://blog.so-net.ne.jp/vanderbilt-law-japan/2007-05-16

 さて、終わりよければ全て良し、というわけではありませんが、死ぬほど怖かった1Lと死ぬほどつらかった2Lも、今では良い思い出です。「J.D.攻略法」は、次回が最後となります。そこでは、この3年間をもう一度振り返るとともに、この先J.D.留学を考えている皆さんへメッセージを送りたいと思います。


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J.D.攻略法 あとがき J.D.留学を考えている皆さんへ [J.D.攻略法]

 欧米の弁護士が支配する国際交渉を目の当たりにしてJ.D.留学を決意してから、はや5年が経とうとしています。私はまだJ.D.を卒業したばかりで、アメリカン・ローヤーとしての切符を手にしたに過ぎません。NYCにある弁護士事務所への就職は決まりましたが、結果を出さなければ、いつクビになるかもわかりません。ですから、えらそうなことは全く言えませんが、それでもJ.D.を生き残った日本人として、もう一度私の留学生活を振り返ってみたいと思います。

 J.D.留学を決意し、LSATでも予想以上の好成績を収めた私でしたが、出願の道のりは厳しいものとなりました。調子に乗って応募したトップ10スクールからは、低GPAのために軒並み不合格をもらい、そんな私を拾ってくれたのがバンダービルトでした。留学前は名前も知らないバンダービルトでしたが、キャンパスは美しく、ナッシュビルの住環境も想像以上でした。しかし、希望に満ち溢れて入学したロースクールの生活は、巷に言われている通り、死ぬほど怖く、そしてつらいものでした。

 1Lのセクション(クラス)75名のうち、言葉の不自由な外国人は私だけでした。初めて契約法の授業でソクラテスメソッドの餌食になったときには、頭の中が真っ白になりました。挨拶しても無視したり、冷たい態度を取ったりするクラスメイトも少なくありませんでした。必勝を期して臨んだ秋学期の期末テストでは、言葉の壁を思い知らされました。

 そんな私にも、少しずつ追い風が吹いてきました。民事訴訟法の中間テストで好成績をとり、J君というすばらしいスタディーパートナーも出来ました。ライティングを通して見つけたブルーブッキングという自分の強みを生かして、ジャーナルのメンバーに選ばれ、周囲の見方も少しずつ変わってきました。幸運にも、希望の事務所からオファーをもらうことが出来ました。ジャーナルという居場所を見つけ、役員として30人の後輩を指導する機会にも恵まれました。

 今振り返れば、何一つ悔いの無いロースクール生活でした。しかし、これから留学を考えていらっしゃる皆さんに、J.D.に挑戦することを手放しでお勧めすることは出来ません。J.D.における語学の壁は、通常の留学とは比べ物にならないほど高いと思います。私は、高校生のときに一ヶ月間ホームステイしたり、日本で英語学校に通ったりしていたことを除けば、完全にドメスティックな人間です。そんな私でも生き残ることが出来ましたから、まるっきり不可能な挑戦ではなかったと言えます。問題は、そのリスクを判断する上での情報が、J.D.に挑戦する日本人の少なさから、決定的に欠けているということだと思います。

 J.D.は3年間ですから、3年もあれば何とかネイティブと対等に戦えるレベルになるだろうと考える方もいらっしゃるかも知れません。しかし、実はJ.D.の勝負は3年間ではなく、最初の1年間なのです。卒業後の就職先を決めるのは、2L終了後のインターンで、そのインターンシップを獲得するために最も重要なのは1Lの成績です。ジャーナルのメンバーシップも、1Lの成績が重要視されます。もちろん、1Lの成績が下位であっても、努力を続けて挽回する学生はいますが、非常に例外的です。私の代に限らず、英語圏以外の国からの留学生の就職率は芳しくありません。毎年ジャーナルのメンバーはほとんどいませんし、卒業後の就職先が見つからず失意のうちに帰国する学生の姿も少なからず見てきています。私は運よく就職先を見つけることが出来ましたが、アメリカ人と対等に競争できるとは少しも思っていません。ブルーブッキングのように、得意とするニッチの分野を見つけ、そして日本人であることを生かせるような仕事をしていくしかないと思っています。

 もしこれをお読みの方がまだ学生で、アメリカン・ローヤーとしてアメリカ人と対等に仕事をしていきたいと思われるのであれば、出来るだけ早い段階(高校生・大学生)で留学されることをお勧めします。ロースクールに入るにあたって大学の学部は問われませんから、大学時代は好きな勉強をして、その時間に本当にローヤーになりたいかどうかを考えることも出来ると思います。また、J.D.を卒業した時点でまだ20代半ばであれば、たとえ希望の就職先を得られなかったとしても、挽回の可能性はいくらでもあります。

 しかし、もし読者の方が既に社会人で、留学を一種のリセットとしてお考えの場合は、J.D.という選択は非常にリスクが高いものになります。留学生にとっての米国法曹界での就職は、たとえJ.D.を取れたとしても、簡単なことではありません。既にキャリアをお持ちの場合は、米国での就職の可能性は限られてしまいますが、J.D.だけにこだわらず、一年間のLL.M.や他分野でのマスター・プログラムという選択肢もあると思います。

 最後に、ここまでお読みになっていただいて、どうもありがとうございました。J.D.を目指している皆様への情報発信は今後も続けていくつもりですが、一旦ここで筆を置おかせていただきます。ご質問やご意見をいただける場合は、 まで気軽にメールを送っていただければと思います。

M (2007 Doctor of Jurisprudence)

ジャーナルオフィスにて


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